白い麻のスーツが似合った祖父(My handsome Grandpa)
選挙活動中、父方の祖父・伴乙衛のことを「積善の家に余慶あり」というコラムに書いた。続けて、母方の祖父・片岡一亀についても書くつもりだったが、タイミングを逸してしまった。今、病み上がりに、紫陽花に降り注ぐ雨の音を聞きながら、ゆっくりした気分で片岡の祖父のことを思い出している。
おじいちゃんには小中学校の頃、よく夏休みに会った。家は高知市の南、城山の高台にあって、家の前には畑(家庭農園)があった。褌ひとつで肥やしの桶を担ぐおじいちゃんの姿が目に浮かぶ。お行儀が悪かった面もあるが、実は現役時代は教育者であり、文化人でもあった。白い麻のスーツにパナマ帽、ピカピカに磨かれた靴を履いて颯爽と仕事に出かける姿は超カッコよく、幼い私の「憧れの男性」でもあった。おじいちゃんの職場の中央公民館で行事がある時は、おばあちゃんに手を引かれてよく行ったものだ。おばあちゃんもまたオシャレさんでレースのワンピースに、日傘という姿がキマッていた。昔の夏は涼やかだった。二人の愛をいっぱいに受けたことに感謝しつつ、おじいちゃんの履歴を記しておこう。
片岡一亀(かたおか かずき)(1890-1974)教育者
明治23年12月11日、吾川郡秋山64(春野町)に生まれる。龍馬、菊治の長男。高知師範学校及び農科大学付属農業教員養成所卒業。小学校教師を経て、高知県教育課勤務。昭和10(1935)年鹿児島県学務課長となり、のち新潟青年師範学校長、宮崎師範学校長を務める。戦後帰郷後は26年開館の高知中央公民館の初代館長となる。夏季大学や市民学校、青年学級など各種講座を開催。(注:金婚式の祝賀や花いっぱい運動も祖父のアイデイアだったと聞く)。また、藤原歌劇団や文楽三和会、菊五郎劇団など中央劇団を招くなど、公民館を文化活動の拠点として発展させた。31年高知県教育委員となり、教育長をも務める。昭和49年2月28日没。83歳。
(高知県人名辞典より)
城山の高台にあったおじいちゃんの家からの眺め(絵:小学時代の美喜子)
花がお好きだったおじいちゃんに季節の花の写真を贈ります! ❤ ❤ ❤
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Comment from すみ子
時間 2023年6月20日 10:29 AM
今の私があるには・・・と考えるとき、美喜子さんのプレイバックはとても心に響くものがあります。今回のおじいさまのことは、公民館長として広い視野から高知に、夏期大学の講師や文化人を招聘したりしたことがお母様の久子さんに繋がり興味深いものでした。久子さんは外交官の妻として他国の文化や暮らしをご自分にも取り込み、魅力的であったのだと私なりに納得いたしました。もちろんそれは美喜子さんにもつながっていると思います。私も祖父のこと思い出しています。