東京文京区白山神社の紫陽花


 二十四節気を目途にコラムの更新をしているが、今回は6月21日の夏至に間に合わなかった。ぐずぐずしている内に早6月が終わる。明日30日は「夏越しの祓」(高知では「わぬけ祭」という)だ。

 年を重ねる毎に「1年の半分を何とか無事に過ごせた・・・」という感慨が増していくような気がする。半年で区切り、けじめをつけることの意義を噛み締めている。

 選挙もあって、この半年家事が疎かになっていた。家は散らかり、あちこちホコリが溜まり・・・。衣類、寝具、スリッパなどの冬物と夏物の入れ替えもまだ終わっていない。そうだ、夏越しの大掃除だ! 環境を整え、心を整え、この夏を健康に、そして小ざっぱり、清潔に過ごしたいものだ。

 マレーシアから一時帰国した折に書いた文章を思い出す。
「久しぶりの両親との生活。短い間に少しでも力になりたいと、私は父の身の回りの手伝いの他、ハタキを使っての大掃除、雑巾がけ、布団干し、虫干しなどマレーシアでは体験することのない日本的な家事に勤しんだ。「労働」は、常夏の国での車生活で、すっかり鈍った肉体には快感だった。手足を動かすことの爽快感があった。日本の生活は体を動かし、勤勉でなければならないように出来ているのだなぁ、としみじみ思った。」

 マレーシアでの生活も思い出した。
家の作りが違うので、自分で完璧に掃除をするのは難しかった。インドネシアの小さな島から出稼ぎに来ていたメイドさんを月に1,2回雇って、徹底的にクリーニングをしてもらっていた。と言っても、日本でのようにメリハリのある仕事ぶりではなく、棚を無作為に拭いたり、タイルの床をモップでテレテレと撫でたり? あっちをやったり、こっちをやったり・・・とても気合が入っているようには見えなかった。しかし、2時間後には見事に仕上がっていて、さすがプロ!とピカピカになった部屋に満足したものだった。仕事が終わった後、おしゃべりを楽しんだことも懐かしい(マレー語とインドネシア語は近いので通じた)。断食明けのハリラヤなどに里帰りの「お土産代にして」とチップをはずんだこともあったっけ。

 思い出せば母も祖母も勤勉で、家の中はきれいに整っていた。母は特にキッチンを大切にしていたが、印象深いのは定期的に包丁を研いだり、まな板を消毒したり、基礎的なことを大切にしていたことである。ステンレスの鍋をピカピカに磨き終えた後の母の満足気な顔が忘れられない。

 「家事は endless 」と母は言っていたが、誠に大変な仕事である。しかし、仕事をやり切った後ー例えばガスレンジの掃除、床の雑巾がけなどを終えた後ーの清々さには何とも言えない爽快さがある。それは家を守る女(今どき古い!と言われるかもしれないが)の歓びでもある。

  清潔で心地よい家は、幸せの基本、健全な社会の礎ではないだろうか。年とともにだらしなくなって家事が思うようにいかない自分にハッパをかけている昨今である。



トップ及び以下の写真は松永美代子さん撮影(毎年美しい花の写真をありがとうございます!)

リンク:
★夏越大祓・わぬけ祭 2022 https://ban-mikiko.com/4814.html
★輪抜け祭 2021 https://ban-mikiko.com/2179.html
★芳しき水無月の百合たち https://ban-mikiko.com/4605.html