もうすぐ6月30日、今年も折り返し地点に来た。「もう半年」と言うべきか、「やっと半年」と言うべきか。病気のせいもあるかもしれないが、年を取るにつれ、半年の長さ、重さが違ってきたように思う。「ああ、何とか無事に半年が過ぎた・・・」と今年は節目を強く意識する。

 高知では6月30日に各神社で「輪抜け」という祭(「夏越しの祓」とも言う)が開催される。高知だけのものかと思ったが、「夏越し(なごし)の祓」は京都はじめ全国の神社でも行なわれるようだ。この日、神社の前には大きな茅の輪が飾られ、参拝者はその茅の輪を左、右、左と八の字を描いて3回くぐってから境内に入る。茅は夏の草花で一番精気が強いそうで、その精気を受けて半年分の「厄落とし」と残る半年の「無病息災」を祈る。ミニ初詣のような気分でもある。

 高知に本格的に帰るまで「輪抜け祭」のことを知らなかった。夏休みや正月にはよく帰省したが、この時期に帰ることが少なかったからだろう。高知の夏は「輪抜け様」で始まり、「しなね様」(高知市一宮の土佐神社で行われる祭)で終わると言われている。

 祈りと言えば、父方の祖母が大変信心深い人だった。神様も仏様もごちゃまぜで、お参りが生活の中心を占めていて、晩年の生き甲斐でもあったようだ。

 祖母は毎朝早起きして髪を結い、近くの若一王子宮に詣でるのを日課とし、毎月一日と十五日には家中の沢山の神棚に新しい榊と炊き立てのご飯をお供えしていた。床の間の神棚ばかりでなく、玄関、台所、お風呂、お便所(その頃は「トイレ」はなかった!)など10か所以上に神様がおられ、子供心に不思議に思ったことだった。

 空海を「お大師様、お大師様」と崇め、高野山にお参りに行ったり、小豆島のミニ八十八か所めぐりなど、お参りツアーにもよく参加していた。

 そんな時祖母はいつも最新の家族の集合写真を抱えて、私たちのために祈ってくれていた。何かというと「写真、写真」と言っていた祖母のことを「おばあちゃんは写真魔ね」とひやかしていた私たちは、今思うと何と不謹慎だったのだろう。

 もう一つ印象に残っているのが、旅立ちの時の「儀式」(まじない?)である。帰京する時、いつも祖母が用意してくれた梅干とかつお節を玄関で一口食べ、お茶を飲んだ後、包丁を股いでお別れした。一式を載せたお盆は、私たちが無事到着するまで、そのまま置かれた。この風習はどんな由来があるのか、他の家でもやっていたのか、謎に包まれたままである。

 祖母はいつも私たちの健康、安全、そして幸せを祈ってくれていたのだ。

 小中学校の頃は毎年夏休みに一か月高知でお世話になった。食生活が質素になっていた祖父母が楽しみにしていたのが母の「天ぷら」だった。エビなどあったのかどうか、(予算の都合で)野菜中心だったと思うが、祖父は「久子さんは天ぷら博士じゃのう」と美味しそうに母が次々に揚げるアツアツの天ぷらを頬張っていた。裸電球の下で3世代がちゃぶ台を囲んだ賑やかな夏の夕暮れの風景が蘇る。祖父母への感謝の念を込めて、私もこの夏は天ぷらに挑戦してみるかな。 


①1951年の端午節に弟武澄が生まれ、喜ぶ祖父伴乙衛と祖母美智子。

②小中学校の頃、夏休みは高知でお世話になりました。

 

③お参りに出かける祖母。庭の松の木とサツキは今も残っている。