啓蟄(睦月25日)


☘ 中嶋嶺雄理事長、荻上紘一館長(当時、右より3人目、2人目)と共に記念撮影



 昨秋入院した時、本人と家族がそれぞれ別の判子で捺印した「入院申込書」の提出を求められた。判子を持っていないと言うと、退院の時でも構わないと言う。ところが退院時にも迎えに来てくれた弟が判子2つを忘れたので、書類の提出ができなかった。「サインでもいいですよ」とはならず、「今度通院の時(2週間後)でもいいですよ」と言われて「釈放」された。えっ? じゃ、この書類って何? ただ、ファィルを整えるだけのもの? 書類を入院時に提出できなかったことを棚に上げて、心の中で文句を言う私。

 判子は現役の頃、職場で大切な小道具だったが、退職してからはほとんど使うことがない。偶に必要になってもサインで済ませたりすることが多い。

 そう言えば、海外では判子は使わない。昔、外国に出かける時。ワクワクしてサインの練習をしたことを懐かしく思い出す。何ら疑問に思うこともなく「Mikiko Ban」と姓・名を逆に書いていたが、今ではパスポートの名前も姓・名の順になっており、署名もわざわざ横文字にせず日本語のまま「伴 美喜子」と書いている。

 昨年「印鑑廃止」のニュースを聞いた時には驚いた。判子社会日本が変わる?! 銀行口座開設、婚姻届や離婚届けも判子がいらなくなる? 大丈夫かな? 確かに、これまで何も考えず、勿体ぶって判子を押していたが、精査すれば必要のないものも沢山あった。不必要なことは廃止、変えていけばよい。

 デジタル化により様々なことがどんどん変わっていく。情報の収集方法、通信のかたち、支払い方法(キャシュレスやカード決済)、買い物の仕方(ネット通販)、等など。

 価値観の変化も目まぐるしい。男女や家族のあり方ー結婚/同棲/事実婚、選択的夫婦別姓、性別の考え方、性別役割分担、終活ー葬式のかたち、墓じまい、樹木葬、等など。

 ふと大学セミナーハウスでご指導いただいた荻上紘一先生(大学セミナーハウス理事長、元都立大学総長)が、よく話され、文章にも書かれていた「不易流行」という言葉を思い出した。

 不易流行は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念で、俳諧に対して説かれたものだが、激動の時代を生きていく上で、是非覚えておきたい言葉だとおっしゃっていた。

 「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」、しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つである」というものです。「不易」は変わらないこと、即ちどんなに世の中が変化し、状況が変わっても絶対に変わらないもの、変えてはいけないものということで、「普遍の真理」を意味します。逆に「流行」は変わるもの、社会や状況の変化に従ってどんどん変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもののことです。(セミナーハウスニュース167号 巻頭言「『出会いの丘』の不易流行」より)

 老女には時には追いつけないような目まぐるしい世の中の「流行」を前に、最近は逆に「不易」なるものとは何だろうかと問い続けている。


◆東京八王子の大学セミナーハウスには2002年5月から2005年5月まで勤務した◆


☘ 春のセミナーハウス

☘ 秋のセミナーハウス

☘ 吉阪隆正氏設計の逆ピラミッド型の本館前で職員と打ち合わせをする荻上先生

☘ ユニットハウス 遠くに富士山が見える


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