朝方、机に向かっていると、足元が冷え、朝風呂に入って体を温めたい気分になる。

 障子を開けると、桜の老木の葉が静かに、一枚また一枚と散っている。 裸木になるのはいつだろうか。自分の老いを重ね、今朝は妙に哀愁を感じる。

 ふとパソコンの「母のエッセイ」のアイコンを開いてみる。秋・・・と題するエッセイが2編出てきた。何れも私がマレーシアから帰って、東京八王子の大学セミナーハウスに勤めていた頃のものである。自然に囲まれたセミナーハウスの宿舎の片隅に仮住まいしていた私を母は何度も訪ねてくれ、 異国で女一人、十年間頑張った私を温かく受け入れ、癒してくれた。母のぬくもりと私にとってマレーシアから高知への「transit」(経由)の地となった多摩の雑木林の中での生活が懐かしく思い出される。

秋霖啾啾

2003年10月 野猿峠にて 伴久子

 こつこつこつと娘の靴の音がしてきました。「あっ、帰って来たのだわ」 
私は飛び出て行きました。
 「ただいま―」
 「お帰りなさ―い」
久々にふたつの言葉が交わされました。なんと幸せな一瞬でしょう。娘に抱きつきたいような衝動に駆られました。帰ってくる人、迎える人、どちらがかけてもこの会話は成り立ちません。

 2001年5月末、主人は帰らぬ人となりました。それ以来、一番悲しく辛かったのは、外から帰ってきたとき、「お帰りなさい」という迎えの言葉がなかったことでした。暫くは人気のない家に向かって「只今帰りました!」と大きな声をかけました。 返事が返ってくるはずがありません。 買い物袋を放り出して、玄関に泣き伏したこともありました。
 
 私はいま、東京の娘の住まいに来ています。小さな食卓には、豚汁、きんぴら牛蒡、ほうれん草のお浸し、新米の炊きたてのご飯が用意されています。一人暮らしをしている娘には野菜たっぷりの食事が何よりものご馳走であり、それはお袋の味でもあります。

 昨日の朝から降り続いている雨はなかなか止みそうにありません。次第に気温が下がってきました。ガラス越しの木々はまだ緑ですが、やがて紅葉が始まり、『葉っぱのフレディ』*の世界へ入ってゆくでしょう。

 この林の中に冬がやってくるのもそう遠くはありません。

*絵本『葉っぱのフレディ~いのちの旅~』1998年、レオ・バスカーリア作。故日野原重明聖路加国際病院理事長の企画・原案でミュージカルにもなった。(初演は2000年)

秋深し

2002年11月 野猿峠にて 伴久子

 娘のこの雑木林の仮住まいにも障子がある。目が覚めると少しばかり開いていた。夜明け前に私のために開けてくれたものであろう。外の景色が額縁のように私の目の中に入ってくる。

 今朝は雨。一面に敷きつめられた茶褐色の落ち葉がしっとり濡れ、かさっ、こそっ、と雨足の音が聞こえてくる。静寂の朝のひととき!

 年中、緑に覆われた常夏の国から帰国してきた娘は、ここ半年ばかり雑木林の中の建物の一角を仮住まいとし、必要なものだけを取り揃えて誠に簡素な暮らしをしている。

 このようにペンをとっている間に、何時の間にかこの林の中に日が差してきていた。鳥も鳴き始めている。枯葉のように見えていた残りの葉っぱが黄金に輝きはじめ、風もないのに音もなく一枚、二枚と落ちていく。

 この日本の秋から冬にかけての自然の移ろいを娘はどのような思いで眺めているのだろう。

 ここ数年、二人の大切な家族を失い、辛い思いをしてきただけに、きっときっと深い感慨をもよおしていることであろう。

 暖かい国にいた時はすっかり忘れたかのようだった持病の喘息が、この慣れない寒さに頭をもたげてきたようである。夕べも少し咳き込んでいた。 娘の背中にそっと手を当ててやると、暫くして咳は治まり、静かな寝息が聞こえてきた。

 お互いいくつになっても母と娘。その母の手に何か治癒力のようなものがあるのだろうか。不思議でならない。

 秋深し。もうすぐお正月がやって来る。