中秋の名月と龍馬の銅像
一昨日10月6日は中秋の名月だった。年によっては9月上旬のこともあるが、今年は遅かった。私は中秋の名月には特別の思い入れがあり、この時期じっとしていられない。
今年は何十年ぶりかに「月の名所」桂浜で月を愛でた。桂浜は日本百名月の一つであり、歌にも歌われているのに、長いこと桂浜で観月をしたことがなかったのは灯台下暗し、勿体ないことだと思い、また例によって「高貴香麗」の乙女たちを誘って出かけた。
夕方6時ごろ若者の車で市内を出ると、月はもう大分昇っていた(月の出17時7分)。空がだんだん暗くなり、月が輝きを増して高くなっていく。40分後、桂浜に到着したころにはすっかり夜の帳が下りていた。
かなり急な坂(階段)を登って、まずは坂本龍馬の銅像のある丘の上へ。昼間は何度も来ているところだが、夜の佇まいは幻想的で、別世界だった。太平洋に向かってそびえ立つ銅像はいつもより大きく、力強く、迫力があった。8mもある台座の高さに初めて気づいた。その上に立つ5.3mの龍馬さんがまるで生きているようで、「老乙女たちよ、よう来たのう」と微笑んでくれているようだった。
桂浜は亡き父が愛し、難題にぶつかった時など、よく「思索」に来ていたところである。龍馬さんと何を語り合ったのだろう。
立派な松の木の間から十五夜の月が美しく輝き、波の音が心地よく響いてきた。この銅像は日本一や! と改めて桂浜の龍馬像の素晴らしさに感動した。
司馬遼太郎が次のような文章を残している。
銅像の龍馬さん、おめでとう。
あなたは、この場所を気に入っておられるようですね。私はここが大好きです。世界中で、あなたが立つ場所はここしかないのではないかと、私はここに来るたびに思うのです。
あなたもご存知のように、銅像という芸術様式は、ヨーロッパで興って完成しました。銅像の出来具合以上に銅像がおかれる空間が大切なのです。その点、日本の銅像はほとんどが、所を得ていないのです。
昭和初年、あなたの後輩たちは、あなたを誘って、この桂浜の巌頭に案内して来ました。
この地が、空間として美しいだけでなく、風景そのものがあなたの精神をことごとく象徴しています。
大きく弓なりに白線を描く桂浜の砂は、あなたの清らかさをあらわしています。この岬は、地球の骨でできあがっているのですが、あなたの動かざる志をあらわしています。さらに絶えまなく岸うつ波の音は、すぐれた音楽のように律動的だったあなたの精神の調べを物語るかのようです。
そしてよく言われるように、大きく開かれた水平線は、あなたの限りない大きさを、私どもに教えてくれているのです。
「遠くを見よ」 あなたの生涯は、無言に、私どもに、 そのことを教えてくれました。 いまもそのことを諭すがのように、 あなたはびょうぼうたる水のかなたと、 雲の色をながめているのです。 (後略)
暫し龍馬さんと過ごした後、ゆっくり浜辺に降りて行った。たくさんの人があちこちにグループを作り、満月の夜の宴を楽しんでいた。私たちも砂浜でベンチに座り、月見団子ならぬ栗どら焼きを頬張りながら、「南国土佐を後にして」を小声で口ずさんだりした。
南国土佐を後にして (2番)
月の浜辺で 薪を囲み
暫しの娯楽の 一時を
私も自慢の声張り上げて
歌うよ土佐の よさこい節を
みませみせましょ 浦戸をあけて
月の名所は 桂浜
高知ならではの素敵な中秋の名月を楽しめたことに心から感謝し、8時半過ぎに家路に着いた。
静かな海面を照らす中秋の月を花街道から眺める




龍馬さんと太平洋を眺める






10月の砂浜にはまだ夏の名残が…。大きな雲が下りてきた….




撮影:
安藤雄二さん、川渕悟さん、丸岡研子さん、伴
リンク:
★ 司馬遼太郎が龍馬の銅像に贈った言葉『萬晩報』 https://yorozubp.com/wp/2010/08/12/ryoma
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