『マレーシア凛凛』序文(Preface of my book)
今日は夏至である。冬至から早半年が過ぎた。十日後には輪抜け様、2025年も半分が過ぎたことになる。
今回は23年前に綴った『マレーシア凛凛』の序文を本ブログに載せておきたい。
マレーシア凛凛
☘ 多くの精神的遺産を残してくれた亡き父、伴正一に本書を捧げる ☘
はじめに
私は通算して約10年、マレーシアの首都クアラルンプールで暮らした。1991年10月から1996年4月まで4年半は国際交流基金の駐在員(クアラルンプール日本文化センター副所長)として滞在した。その後いったん帰国したが、マレーシアへの思いが断ち切れず、半年の本部勤務を経て同基金を退職、再びマレーシアに渡った。暫くマレー語を勉強した後、1997年から4年間はマレーシア国民大学(国立)で日本語を教えた。マレーシアは私の人生航路を大きく変えたのである。
なぜ、これほどまでにマレーシアに惹かれたのか。マレーシアの魅力とは何なのか。私は自問自答を続けた。そしてその「魅力」を日本に伝えなければと思うようになった。
2度目のマレーシア滞在が落ち着いた頃から、私はマレーシアでの体験を少しずつエッセイに書くようになった。そして、1999年8月に”Mikiko Talks on Malaysia”というホームページを立ち上げた。それ以来平均して週1回コラムを更新しているが、マレーシアへの関心の高まりを反映してか予想以上の反響があり、アクセス数も2年半で8万までに達した。読者からは是非「本」に、という励ましをいただくようになった。
本書はこれまでホームページに掲載したコラムをまとめたエッセイ集である。しかし、同時にマレーシア入門書としても利用していただけるよう、テーマごとに分類し、章立てを試みた。書いた日付が相前後するという点では読みにくさがあることをお断りしておきたい。
私が滞在したこの10年は、マレーシアにとって独立以来、最も波瀾に富んだ激動の時代だった。最初に駐在した1990年代前半は東南アジア全体が経済発展を謳歌していた時代で、マレーシアもマハティール首相の強力な指導力の下、”Wawasan 2020″(ビジョン2020年)を掲げ、意気揚々と国家発展に邁進していた。ところが、1997年にタイに端を発した通貨危機がこの地域を襲い、マレーシアは更に政治危機も重なって、その後1999年頃まで経済的にも政治的にも不安定な時期が続いた。それは政府にとっても、国民にとっても厳しい試練の時だった。私自身の身にもいろいろなことが降りかかってきたが、絶好調の時のみならず、危機のどん底の時も居合わせることができ、私はマレーシアという若い国の発展のプロセス、そして喜びも悲しみも共にした思いがしている。
他方、この数年は個人的にも試練が続いた。商社員として南アフリカ共和国に駐在していた弟の事故死、そして父の病気と死。そんな苦しい体験は宗教や家族を大切に生きているマレーシアの人々への理解と共感を深めた。
マレーシアは世界でも有数の親日国である。私もこの10年間どれほど多くのマレーシア人にお世話になったことだろう。本書に登場する方々、その他登場していただけなかった多くの方々にもこの場を借りて心よりお礼を申し上げたい。
マハティール首相が就任と同時に打ち上げた「ルックイースト政策」は今年、20周年記念を迎える。そろそろ「ルック・マレーシア」の時代ではないだろうかとの声も聞かれる。そんな折、本書がマレーシア理解に少しでもお役に立てば望外の幸せである。
最後に本書の出版を快諾してくださり、終始親身になってお世話くださっためこんの桑原晨社長に深く感謝申し上げたい。
また、私にエッセイを書くことを勧め、ホームページ開設に協力するなど、不器用な私を𠮟咤激励し続けてくれた弟武澄・貴世子夫妻、メール等で声援を送り続けて下さったホームページの読者の方々に心より”Terima Kasih!”(テレマカシ、ありがとう)と申し上げたい。