積善の家に余慶あり(Those who accumulate goodness will be blessed)
☘ 1951年の端午の節句に弟武澄が生まれ、喜ぶ祖父伴乙衛と祖母美智子
今日は春分、夢中で戦っている中、季節は冬から春へと劇的に変化した。自然の「勢い」はすごいなあ。
高知の桜も17日に「開花」した。旧暦では明日から閏年(1年が13ヶ月)の閏2月である。
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積善の家に余慶あり。
祖父伴乙衛が折りに触れて、口にして言葉である。祖父は確かに善を積んで生き抜いた人であるが、その子孫たちはどれだけその教えを守れたかわからない。しかし、今、選挙を戦っている中、ちゃっかり者の孫は「余慶」にもすがっている?!
高知県人名辞典に載っている祖父の履歴を心に刻み、あと1ヶ月を戦い抜きます!
伴乙衛(ばん おとえ)(1879-1966)税務官
明治12年12月19日、正孝、藤の二男として高知市街南奉公人町(高知市上町)に生まれた。県尋常中学海南学校(小津高校)を出て、陸軍士官学校、次いで高等商業学校(一橋大学)へ進んだが何れも重症の脚気で中退。学業を断念して高知税務署の雇員となる。
丸亀税務監督局に転じ、のち西大寺(岡山市)、宇和島、新居(西条市)、津山の税務署長を歴任。第2次大戦以前の賦課税の時代に、津山では水害による被災地農家への税の減免措置を行い、それが上級の監督局で問題化した。時の石渡主税局長(のちの大蔵大臣)は実情を踏まえた適切な処置であったと是認、むしろ法の不備を正すべきものとして緊急勅令発動に動いた。民業を大切にする信念の人であった。
昭和10年(1935年)高知税務署長。15年に定年退官後は高知商工会議所理事(戦後は理事長の役職に相当)を18年の戦時体制による解散時まで務めた。また17年高知市会議員。15年定年退官後は高知商工会議所理事(戦後は理事長の役職に相当)を18年の戦時体制による解散時まで務めた。
また17年高知市会議員。30年に分離独立した土佐村田井の土佐酒造(株)社長に就任(40年まで)、続いて同社監査役、また(株)山崎猛商店監査役を法人設立時の昭和27年から没年まで、それぞれ務めた。
父が藩政時代に御馬廻、維新後は謡曲師範であったことから謡曲をたしなみ、また税務署時代にはチームを編成して、野球、山登りなどスポーツにも興じた。昭和41年12月25日没。87歳。
☘ おばあちゃんがお参りに行く時、いつも持参していたおじいちゃんの写真が残っていました。
☘ 小中学校の頃、夏休みは高知でお世話になりました。祖父母は私たちの帰りをとても楽しみに待っていてくれました。高知駅前で。
リンク:
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