湊仁君へ

 こんにちは。西町のみっこです。

 お元気ですか。先日お父さん(伴友衛さん)が家族のお写真を送ってくださいました。4月から保育園に通っているそうですね。お友だちも沢山出来て、毎日楽しいことでしょう。

 湊仁君はまだこのお手紙を読むことが出来ないと思いますが、大きくなっていつか読んでほしいと願って書いています。

 みっこちゃんは今、終活で湊仁君のひいおばあさん(曾祖母、伴久子さん)のレシピを整理しています。久子さんはレモンパイをはじめお菓子を焼くのがとても得意で、自宅でよくティーパーティーを開いていました。お菓子のレシピは50ぐらいあります。その中に貴方のおじいさん(伴幸衛さん)とおばあさん(伴佳子さん)の名前が付いたケーキがあります。

 お二人は早く旅立たれたけれど(幸衛さんは42歳で南アフリカで事故死、佳子さんは6年後癌で亡くなる)とても素敵な人たちでした。湊仁君は会えなくて残念ですね。いつかお父さんからいろいろと話を聞いてください。

 幸衛さんは生まれてすぐ(生後50日)船でアメリカへ行きました。アメリカでは芝生のある広々としたお家で、ミルクやバナナ(その頃日本ではとても貴重でした)を沢山食べてすくすくと育ちました。丸々と太ったそれはそれは可愛い赤ちゃんでしたよ。超肥満児になって、医師に「ミルクストップ」を宣言されたという逸話もあるくらいです。

 日本に帰ってからは、真冬でも半ズボンで、元気に外で遊びまわる頼もしいガキ大将でした。その頃、母親がよくおやつに焼いていたのが、シナモンケーキです。「この子はこのケーキを食べて育ったようなもの」と久子さんが「少年 Koe Ban」と名付けました。

 佳子さんは長い黒髪が美しい、しっかり者の女性でした。幸衛さんとは高校時代のクラスメートで、10年間のおつきあいの後、1984年にゴールインしました。

 幸衛さんの母久子さんが二人の結婚後初めて新居を訪ねた時、佳子さんは仕事を持っていたにもかかわらず、家でチーズケーキを作っておもてなしをしたそうです。そのチーズケーキを口にした瞬間 “ああ、この女性はきっと幸衛のいい伴侶になってくれる!” と確信したそうです。そして、早速そのレシピをもらい、「Yoshiko’s Cheese Cake」と名付けて、久子さんの大切なレパートリーのひとつにしてきたのです。愛のケーキとも言えるかな。

 今、おかあさん(瑛子さん)は昨年生まれたばかりの一葵君のお世話で忙しいと思いますが、いつかゆとりができたら、この二つのケーキを是非作ってもらってください。 次のコラムでレシピを載せますね。もちろん高知に帰って来た時はみっこちゃんが作りますよ! 

 幸衛さんと佳子さんが、天国から貴方と一葵君の成長を見守ってくださいますように。

リンク:アフリカの果てに散ったある企業戦士 https://ban-mikiko.com/1204.html