「分」をわきまえる

 水野副学長のもう一つの質問は、次のような内容だったと記憶している。

「マレーシアは多民族国家ながら比較的うまくいっているようですが、あれはやはりマハティールさんのリーダーシップの力が大きかったのですか」

「はい、そうだと思います」

以下、私の思いを改めて書いてみたい。

 マハティール氏は1981年より2003年まで22年間に亘り首相を務め、1957年にイギリスから独立したばかりの発展途上国、多民族国家の難しい舵取りをしてきた。何よりも「VISION 2020」のスローガンの下、マレーシアを未来志向の国に脱皮させたことは大きい。

 私自身も十数回直接に会う機会に恵まれたが、欧米に向かって歯に衣着せぬ発言をするイメージとは逆の大変穏やかで、あたたかい方だった。 

 断食明けのオープンハウスの折などは、厳しい警備もなく、誰でも自由に首相と握手をすることができたが、何千人という人々と一人一人丁寧に握手される姿は国の首長という厳めしいものではなく、マレーシアという大きな村の長老、大家族の頼りになる「オヤジ」というイメージだった。

 マハティール前首相は鄧小平と並んで、私が最も尊敬する、アジアの偉大な政治家である。

 水野副学長の質問に対する答えの中で補足した点があった。

「リーダーシップの他にもう一つ、平和共存の秘訣があります。それは各民族がそれぞれの『分』をわきまえて『我慢』をしているということです」

 各民族が百パーセントの権利を主張すれば、利害の衝突は目に見えている。友人エドワードの言葉を引用したい。

「中国系はクォーター制(ブミプトラ政策)を受け入れ、マレー系は移民たちに市民権を与えた・・・。それぞれのsacrifice(犠牲・我慢)じゃない? ご飯一杯とご飯一杯の平等もあるけれど、ご飯一杯とミー(麺)一皿の平等もあるよね」

 マレーシアには第二の国歌ともいうべきSejahtera Malaysia (平和なマレーシア)という歌がある。

 テレビから流れるそのやさしいメロディーを私はマレーシア滞在の10年、毎日のように聞いていたのだが、私がマレーシアで学んだのは、この、「平和」のかたちだったのではないだろうか。

 他方5か月のタイ留学から帰ってきた高知工科大学生の板垣毅君は「豊かさ」について学んだという。再び彼の報告書から引用したい。

「彼らと語り合ったテーマで一番楽しかったのは『豊かさ』である。私はよく『日本人は世界で一番金持ちなのに自殺者がとても多いのが不思議だ』と言われた。確かに日本は先進国であり、様々な面で発展しているし、経済面でも世界の中でもトップクラスである。一方タイは発展途上国であり、周辺の後進国と比べれば突出しているが、貧富の差も激しく経済的にも決して豊かとは言えない。しかし、人を見ていると彼らはとても気さくで明るく、細かいことに拘らず,また活発でエネルギッシュだ。(中略)

 そんななかで感じたのは『豊かさ』ということである。人と人とのつながりが深く、よく笑う彼らの日常生活は充足していて、人生を謳歌しているという表現がぴたりと当てはまる。日本での生活が再開したが、タイで得た様々なことを胸に豊かな日々を過ごしていこうと決意を新たにした」

 若い板垣君に脱帽!です。




2003年10月31日マハティール前首相からアブドゥラ新首相へ。
新旧リーダーを配した街中の看板(クアラルンプール)