秋分





 私より2歳お姉さんで、高知の大切な友人、西村澄子さんからメールが届いた。「夫の一年祭と墓参りを終えました。お会いしたいです」と。

 2月に会って以来、メールや電話で連絡を取っていたが、やはり「面授」が待たれた。久しぶりにランチ、お茶をしながら色々な思いを語り合った。

 澄子さんは私のHPの有り難い読者であり、数多くのコメントを寄せて下さっている方だが、私たちは不思議な御縁で結ばれている。出会ったのは2006年高知工科大学勤務時代で、彼女がある会合で素敵な司会ぶりを披露してくださり、お声の美しい方だなあと心惹かれた。数年後、高知市文化プラザで開催された「留学生&県民・出会いの広場」という催し物の司会をお願いしたりしたが、その後ずっと心にかかりながら、本格的なお付き合いができるようになったのはここ数年のことである。
 
 あら、弟武澄と同じ「澄」子さん! 
まあ、可愛がってもらった伯母と同じ名の「すみ子」さんだわ! 
澄子さんの義父西村正男さんと私の祖父片岡一亀は教育委員会で一緒に仕事をしていた!? 
等など次々に縁が紐解かれていった。

 社交的だった母は「娘を差し置いて?」いつの間にか澄子さんと交流していて、澄子さんのお庭から届いたハーブが老いて寂しさが増していた母の心を癒やしてくれたこともあった。時を経て、母が亡くなった時、その知らせを新聞広告で知った澄子さんがお通夜にかけつけて下さった。ご親切が心に滲みた。先日は筆まめだった母が澄子さん宛に書いた数通の葉書を見せてくれた。大切に保管して下さっていたことに胸が熱くなった。

 こんな風に澄子さんとは母との思い出でも繋がっている。

 澄子さんは声のプロであるばかりでなく、文章も書かれる。もう十年くらい高知新聞の「あけぼの」という欄に年数回投稿を続けておられ、家族のお話を題材にメッセージ性のある素敵な文章を書かれている。書くスタイルが「プレイバック」、「家族・・・」と私と共通している。文章を書く方だから私のコラムも深く読んで下さっているのだろう。

 これまた奇遇、6年前に母が亡くなった日に澄子さんの「その独りを慎む」と題する投稿が新聞に載った。母を亡くした私への道しるべのように思えた。忘れられない一遍なので転載させていただく。澄子さん、これからも励まし合って、「老いの慎み」を大切に生きていきましょうね。



あけぼの 【その独りを慎む】  西村澄子 高知新聞2017年3月23日

 タンスの肥やしと化している着物を、そろそろ片付けなくてはと取り出してみる。私は大柄で、着物を着るつもりなどなかったのに、何とたくさん揃えてもらったものか。母親代わりだった祖母は黙って揃えてくれた。

 その中に、祖母が縫ってくれたウールの着物が数枚ある。せめて作務衣にでもリフォームしてと、ほどき始めた。祖母らしいかっちりとした縫い目。ほとんど着ることもなくほどいている。ごめんなさい。

 祖母は小学校の教師だった。大正6年に母を出産する直前まで教壇に立っていた職業婦人である。一人娘であった母が早世したため、私たち姉妹の母親代わりになった。

 明るくさっぱりした人で、下宿している学生に慕われ、マージャンに誘われたりしていた。また、アメリカにいる友人から毎年クリスマスにチョコレートなど送ってくれるのを、英語らしきものを言いながら、私たちに手渡してくれるモダンな人でもあった。祖母の深い悲しみを理解したのは、ずっと後、私が親になった時だ。
 
 その祖母が折にふれて言っていた言葉が私の中に今も生き続けている。

 「その独りを慎む」。誰が見ていても見ていなくとも、慎みを忘れず、人として恥ずかしくない生き方をしなさいというのである。それは、祖母が自分自身にも言い聞かせていた言葉ではなかったか。晩年は一人暮らしで、質素でつつましい生活ではあったが、いつも花を絶やさず、身ぎれいにしていた人だった。

 「その独りを慎む」。この言葉は具体的でないだけに、私にとってこれほど心のありようを問われ、また支えになった言葉はなかった。

 あのころの祖母の年齢に近くなった。出来上がった作務衣をきて、祖母のような慎み深い老女でありたいと思う。


2022年6月、お庭のハーブを持って訪ねて下さった西村澄子さんに母のレモンパイを試食していただきました。澄子さんのコメントあり。https://ban-mikiko.com/1850.html