白露


縁側で語り合う父と娘



 先月30年前に一緒にお仕事をした平塚潔先生からホームページに問い合わせが届いた。 私のことをふと思い出し、ネットで検索をしたら「人生のPlayback」が出てきたという。「故郷で世界に生きる」という表現が大変気に入ったと言って下さった。また、その後、「縁側で語り合う父と娘」の写真が小津安二郎の名作の一コマのようだ、写真を修正して送るので、是非再掲するようにと勧められた。

 この写真は私が30代の頃、母が撮ってくれたものだと思うが、母はこの父娘の姿にほっこりしてシャッターを押したのだろう。

 写真の説明が長くなってしまった。本題の「好きな言葉」に入ろう。



❤お裾分け
 選挙活動中、そして選挙後、人の輪が広がり、人様からお菓子や果物等いろいろ差し入れをいただくことが多くなった。我が家だけでは食べ切れないので、お裾分けをする。自分たちは「腹八分、六分」位にしておいて、新鮮で美味しい内に、人様にもお福分けをする。何と楽しいことではないだろうか。

 高知では副業や趣味で農業をやる人も多い。時々、「うちの畑で取れたので」と新鮮な野菜のお裾分けをいただくことがある。都会ではあまりなかったことで、有り難く、とても幸せな気分になる。
 
❤Share、Care、Dare
 お裾分けは英語で言うとshare である。「シェア」は日本語にもなっていて、この頃は「分かち合う」という意味が発展して「共有する」「転載する」などという意味でネット上などでもよく使われている。

 マレーシア社会の印象を3つの言葉で表したことがある。 Share、Care、 Dare。
当時の日本と比べて、マレーシアは「分かち合う」、「相手を気遣う」精神が顕著で、日本よりも「勇気を持って(行動する)」ことが美徳とされる社会だと感じたのだ。

 お裾分けはまさにshareの文化である。大切な価値であり、今、生活の中で意識して大事にしている言葉(行動)である。

❤サヤン(sayang)
 マレー語で一番好きな言葉はsayang! 辞書には「愛する」とあるが、愛するにはcintaという別の言葉がある。「愛おしく思う」と言った方がいいかもしれない。可愛い子に向かって「sayang!」、 妻が夫に向かって「sayang!(あなた!)」。「残念だ」「可哀想そうだ」「勿体ない」などというような意味にも使う。「残すのはsayang だから、食べてしまおう」などと。基にあるのは「大切に思う、慈しむ」という感情だろう。

 インドネシア/マレーシアには「Rasa sayang」という誰でも知っている歌がある。聞いた方もあるかもしれない。
 
Rasa sayang hei
Rasa sayang sayang hei
Hey lihat nona jauh
Rasa sayang sayang hei

愛おしい思い
とても愛おしい思い
遠くからあの娘を見ている
とても愛おしい思い

このあとは伝統的なパントン(4行詩で教訓や生活の知恵が表現される)や即興のパントンを自由に続ける。
https://kura-kura.net/rasa-sayang.html

❤みてる
 この半年、植物学者牧野富太郎をモデルにした朝ドラ「らんまん」を楽しく見てきた(あと3週間で終わってしまう・・・💧)。主人公の万太郎や、彼のお目付け役で後に姉の夫になった武雄役の俳優たちが話す土佐弁が自然だ。聞いていて何とも心地がよく「土佐弁はええねぇ」と思ってしまう。土佐弁は余り品が良くなく、荒っぽい言葉だと思っていたが、このドラマのお陰で私の土佐弁愛が深まったような気がする。

 県外の方々に土佐弁の「みてる」という言葉を紹介したい。
「万太郎の祖母タキがみてた・・・。」 亡くなったという意味である。「満てる」という漢字から来ているのか。人生十分に満ちて全うしたという意味で、「天寿を全うする」と言ってもいいが、より優しく、柔らか、自然な気がする。月夜の下で潮が満ちる光景が目に浮かぶ。人生、上手にみてたいものだ、とこの頃ふと思う。

 月日はどんどん流れる。74歳の秋を大切に過ごさなければと思う。