お正月過ぎに高知工科大学の李朝陽先生よりお電話をいただいた。
「お年賀状ありがとう。先生のホームページ見ましたよ! 早速中国の仲間たち(高知工科大学元留学生ら)にも LINE(正確には中国で普及しているWeChat/微信)で知らせました。皆、懐かしがっていますよ」

 その夜ホームページのアクセス解析を見て、中国20都市から50件以上のアクセスがあったことを知った。都市名を見ると、私がお世話した元留学生の所在地がほとんどだった。今まで中国からのアクセスはほとんどなかったのだが、李先生のアクション1つで、一瞬にして私のホームページが「中国全土」(?)に広がったのだ! 改めてITの凄さと高知工科大学の元中国留学生(博士課程特待生)の緊密なネットワークに驚いた。 
 
 李朝陽先生は元々黒竜江大学の副教授だったが、2003年に留学生として来日し、高知工科大学で博士号を取得後、准教授として大学に残った。現在は教授となり、国際交流センター長も兼任している。ご本人もこんなに長く高知に滞在するとは夢にも思わず、運命は不思議だと言っていた。彼女が高知工科大学に残っていることは、同大学と中国に帰った卒業生(ほとんどが大学や研究所に勤務)とのパイプを強固なものにしていて、大学にとっても幸運なことではないだろうか。彼女は同大学開学以来のすべての留学生を知っているのだ。

 週末に久しぶりにお会いすることになった。その日は快晴で、先生の車で迎えに来ていただき、海の方までドライブした。宇佐で美味しい貝料理を食べたあと、横浪三里にあるVilla Santoriniまで足を伸ばした。10年前に留学生たちと来たところである。まるでエーゲ海のような佇まいであり、ホテルを取り巻く海や山の景色は素晴らしかった。私たちは歓喜の声を上げ、何枚も写真を撮った。

 行き帰り、おしゃべりを楽しんだ。

「Mikiko Talks on Malaysiaも覗かせてもらったけど、伴先生がマレーシアにいたのは30代?」
「・・・40歳を少し過ぎていたわね」
「30代、40代は人生で一番いい時だったでしょう」
「そうね。怖いもの知らずで、自信に満ちて前に突き進んでいたわね。年を取るにつれて、いろいろと見えて来るからかしら、却って慎重、臆病になってしまうわね」
「・・・私もそう感じます」
「李先生はまだ50代でしょ、まだまだ『いい時』ですよ」

 大勢の卒業生の消息 ――ロマンスや結婚、家族の状況、職場での昇進などについても色々と話してくれた。私の方が知っていることもあった。「真的?(ホント?)」「うそ~!」と懐かしい人たちのこの20年の歩みを辿った。その様々な人生模様に、人の一生は「禍福は糾える縄の如し」だとつくづく実感した。それにしてもこんなに多くの留学生たちの「留学時代」のみならず、その後の「人生」にも触れることが出来たことは幸せなことだと思った。
 
 帰りに我が家に寄ってもらい、前夜仕込み、朝仕上げた「母のレモンパイ」を試食してもらった。李先生は留学生時代に何度も我が家に来たことがあって、母のこともよく覚えていた。40人位集まった我が家での母傘寿のお祝いの茶会のことなども思い出してくれた。「お母さんはすごい人でしたよ。兎に角オーラがあったわね。お料理もお上手だった。娘さんの伴先生はお母さんとは違って?みそ汁くらいしか作れないと思っていたけれど、今日はびっくりしたわ。美味しいレモンパイでした!」
「ありがとう。母も『ああ、あの李さんね。そう、私の自慢のレモンパイを食べてくださったの!?』と、とても喜んでいると思います」

 何と幸せな一日だったことだろう。その夜、私は興奮し、朝まで懐かしい人たちの夢を見て忙しかった。


所感雑感―近くなった中国:https://ban-mikiko.com/1438.html
国際交流のシゴト:https://ban-mikiko.com/jobs