「上海万博」開幕のニュースに、中国の今と30年前が脳裏で交錯した。

 1977年、北京大使館に勤務となった父に付き添って、初めて中国の地を踏んだ。文化大革命が終わったばかりで、鄧小平復活前夜のことである。「人民」は皆、暗い色の「人民服」を着ており、車と言えば、高級官僚を乗せた「紅旗」や外交団の車ぐらいで、主要交通機関は専ら自転車とバスだった。

 家が提供されるまで数か月泊まっていた北京飯店から長安街を見下ろすと、朝夕の出勤時は人の大河となった。ゆったりとしたペースで大きな車輪を漕ぐ大群の姿はまるで長江の流れのようで、悠久の歴史を思い起こさせた。「共産主義国・中国」が“別世界”だった頃の話である。

 78年に日中平和友好条約が結ばれ、翌年から中国政府は留学生の派遣を開始した。日中国交回復後の6年間で私費留学生は僅か23人だった。中国教育部に呼ばれ、「初年度は日本へ500人を送り出したい」という話を聞いた時の驚きを父は語り草にしていた。

 現在日本にいる外国人留学生は約12万4千人。その内の6割は中国人である。

 父が30年前に携わった仕事の一端に今、また娘が従事している。

 私が勤務している高知工科大学では現在40人近くの留学生を受け入れているが、その6割が中国からである。全員博士後期課程に在籍、特待生として学費を免除され、リサーチアシスタントとしての謝金を受けている。研究に専念できる環境を提供できていることは本学の誇りである。

 たまには息抜きで室戸や足摺岬まで連れ出し、土佐の紺碧の空や黒潮のしぶきを浴びてもらう。青春時代の3年をこの地で暮らす彼らは、高知を第二の故郷と思ってくれているようである。既に48人が巣立っている。

 第1期生の李朝陽さんは、もともと黒竜江大学の副教授であったが、本学で博士号を取得後、そのまま残り、現在ナノデバイス研究所准教授として勤務している。彼女の研究グループが世界最高輝度の薄膜蛍光体形成に成功したニュースが1月29日の高知新聞で紹介されたばかりである。

 高知滞在が長くなるので、2年前についに一人娘を呼び寄せ、土佐中に入学させた。ご主人の王君林さんやご両親も時々高知にやってくる。

 李さん夫妻は黒竜江省虎林市出身であるが、かの地(特に虎頭)は第2次世界大戦最後の激戦地で終戦後の8月26日まで戦いが続いた所。ハルピンに出張した折に王さんから直接その話を聞いた時は衝撃だった。

 その虎林を一昨年「残留孤児養父母謝恩と慰霊高知訪中団」が訪問し、「感謝中国養父母」の石碑建てている。一行を迎えた虎林市副市長らは、実は李さん夫妻の知人だったことが、今年の高知県日中友好協会主催の「春節を祝う会」の席で分かった。奇しき縁というべきである。

 留学生たちやその家族と交流する中で、日本と中国は、今再び一つの「地域」として、ますます近い存在になりつつあることを実感する。

 そして、出張で訪れる各地の発展ぶり、特にその「活力」と「明るさ」を目の当たりにするたびに、日中が「切磋琢磨」する時代が到来したことを痛感するのである。

 40年前、大阪万博で日本中が湧いたことを思い出し、上海万博の成功を見守っている。

高知新聞掲載