数年前、留学生のために我が家で何回か料理教室を開いたことがある。「何を作りたいですか」と尋ねると、「先生のみそ汁とおにぎり・・・それから卵焼きを習いたいです」という返事が返ってきた。おふくろの味の定番ではないか! なかなかセンスがあるなと感心したことだった。

 みそ汁は私の得意料理(料理と言うほどのものではないが)のひとつである。工科大に勤めていた頃、年に何回か学生の寮で様々な名目でパ―ティーを開いたが、私はそんな時、よく大きな鍋で4,50人分の豚汁を作った(ムスレムの学生のためには普通のみそ汁を別に用意)。 皆、美味しい!美味しい!と、うっとりした表情で食べてくれた。Ban Sensei‘s Miso Soup はいつも好評で鍋はすぐに空っぽになった。

 私のみそ汁は甥たちにも人気がある。都会で仕事をしている甥たちが帰省した時は、いつも朝御飯は和食を用意するのだが、彼らは出来立てのみそ汁を口にするなり “あーあ、体に沁みる~~” と幸せそうな笑顔を見せてくれる。「みそ汁の鉄人」とのお褒めの言葉をもらったこともある。みそ汁は我が家の、いや、日本人のソウルフードだ。

 さて、おむすび(またはおにぎり)と言えば、いのちを救った佐藤初女さんの伝説のおむすびの話を思い出す。龍村仁監督の「地球交響楽第2番」(1995年)の出演者の一人である佐藤初女おばあさんは青森県岩木山山麓に「森のイスキナ」と呼ばれる「癒しの家」を開設した人だ。悩みや問題を抱えた人たちを受け入れて、おむすびや土地の素朴な材料で心を込めて作った食事を提供することにより、食から心の問題も解消していくことを追求して話題になった。

 初女さんのおむすびとはどんなものだったのだろう。動画も残っているが、まず、まな板の上に茶碗一杯のご飯を返す。真ん中に梅干しを入れ、塩をふった手で、ご飯を「軽く、ふんわり」、米粒が「息が出来るように」優しく心を込めて握る。仕上げは海苔でしっかり包む。この初女さんが握った「魔法のおむすび」で多くの病める人が救われたという。初女さんは2016年に94歳で亡くなっているが、「初女さんのおむすび」は今も語り継がれている。

 卵焼きは私自身、目分量で適当に作っていて、特に自慢できるものではないが、甥の息子が小学生の頃から作ってくれている。数年前に帰省した折にはエプロンをし、計量スプーンを使って分量を私に説明しながら、椅子に上って上手に焼いてくれた。その真剣な少年の姿を愛おしく思ったことだった。暫く会っていないが、随分大きくなっていることだろう。昨年はコロナ禍で会えなかったが、今年はどうなることだろうか。

 退職したら「みそ汁ばあさん」をやりたいと思った時期がある。大学生たちに美味しいみそ汁とおむすびの朝ごはんを提供して、若者を体の芯から元気づけたいと考えたのだ。朝のみそ汁の匂いは格別だし、日本人は究極のところ、ごはんとみそ汁があればいいのだから。

 しかし、古希も過ぎ、難病にかかって通院治療を続けている今の私には、もう夢の話になってしまった。



肉じゃがを作るおふくろ(絵里子ママ)を手伝う甥の子供(又甥)たち