マレーシアはイスラームを国教とする国だが、クリスマスもまた大切な日である。私が20年前に出会った、マレーシアのクリスチャンやクリスマスを大切にしている人々のことをお伝えしたい。

民族それぞれの「節目」(2)クリスチャン(Mikiko Talks on Malaysiaより)

2001年12月

 12月に入ると、町にはクリスマスの飾りが目立ち始め、クリスマス・カードがぼつぼつ届き始める。

 大学で中国系のアリソンさんから、手渡しでクリスマス・カードをもらった。

「あなたの家族はクリスチャンなの?」
「いいえ、仏教徒です。クリスチャンは私だけです」
「じゃ、キリスト教はあなた自身の選択だったんですね」

「いいえ、私の選択じゃなくて、神様の選択です。神様が私を選んでくださったのです。・・・大学に入った頃、クアンタンから出てきた私は環境の変化に戸惑い、精神的危機に直面していました。そんな時、ふとキリスト教についての記事を目にしたのです・・・」

 彼女は心を開いて、更に打ち明けたい様子だった。しかし、私は授業が控えていたので、「またいつか、ゆっくり聞かせてくださいね」とカードを封筒の中に仕舞った。それは、日本人から送られて来るどのクリスマス・カードよりも重いもののように感じられた。クラスでも、とてもまじめでナイーブなアリソンさんだが、12月25日は今の彼女にとって、もしかしたら中国正月よりも大切な日なのかもしれない。

 日本語副専攻のファウジアさんはサバ州出身のマレー系。日本の宗教をテーマに卒業レポートを書いており、週1回指導している。ムスリムの目からは日本の宗教に対する考え方・態度がとても不思議に思えるようだ。話していて私も勉強になる。

「人間は弱いものです」
「現在の幸せをいつまで享受できるとは限らない。食べ物がないこともあるかもしれない。『断食』はそんなことも教えています」

 出身地のラナウは人口の約半分がキリスト教徒で教会も目立つという。彼女が血を引いているカダザン族はクリスチャンが多い。フィリピンの影響か、英語も西マレーシアとは異なり、アメリカン・イングリッシュの方が普及しているそうだ。話を聞いて、マレーシアの多様性が地理的な広がりとして実感できた。

 12月半ば、あるプロジェクトのお手伝いをした関係で親しくなった大学内のIKMAS(マレイシア問題・国際問題研究所)の友人を訪ねた。

 50代後半のドロシーさんのルーツはインド西南端のケーララ州。敬虔なカトリック教徒。1人息子の嫁には同じ出身地のお嬢さんを望むが、同郷か、宗教かと問われれば、断然「カトリック」を取るという。信仰が同じであれば中国系でもよいそうだ。「クリスマスには息子がロンドンから帰ってくるの!」といつものキャリア・ウーマンが母心を覗かせていた。

 30代で中国系のアウヨンさんに一年で一番大切な日を聞いてみた。「クリスマス」との答え。

「クリスチャンではないけど、この時期にオーストラリアや香港に住んでいる兄弟家族が里帰りして来て、年に1回の楽しい家族の『REUNION』の日だから」

 世界民族である中国人やインド人にとって、世界の暦となったグレゴリオ暦の12月25日は一番集まりやすい日なのだろう。ドロシーやアウヨンのような例は私の周りでも数えきれない。

 私と同世代のダイアナ・ウオン助教授もクリスマスが「最も大切な日」だという。彼女は中国系マレーシアンだが、シンガポールとマレーシアが一つの国だった頃、シンガポールに移り、そこで育った。大学時代にドイツに留学し、そのまま留まることになる。90年代になって、シンガポールを経て、マレーシアに戻ってきた。ご主人はドイツ人。彼女からはオーソドックスなドイツのクリスマスについて心がときめくような話を聞いた。

 マレーシアのクリスチャン人口は8%とされている。特に東マレーシアであるサバ、サラワク州の少数民族にキリスト教徒が多く、両州ではクリスマスに加え、グッド・フライデーも祝日となっている。西マレーシアのクリスチャンは東マレーシア出身者、インド系、中国系などである。

 マレー人のクリスチャンは存在しない。憲法でマレー人とは「日常的にマレー語を話し、イスラームを信仰し、マレーの習慣に従う者である」と定義されているのである。


 マレーシアではいろいろな宗教の人がいるので、クリスマスカードは「Merry Christmas」ではなく「Season Greetings」と書かれているのが一般的です。