先人の足跡振り返る

 12月初め、クアラルンプールのジャパンファウンデーション(国際交流基金)オフィスで、「同志」として一緒に仕事をしていたエドワードさん(中国系)が懐かしいカレンダーを送って来てくれた。

 チャイナタウンで売っているそのカレンダーは、多民族国家で仕事をする者の「必携」の商売道具だった。

 マレーシアは総人口2327万人(2000年現在)、イスラームを国教とする多民族国家である。マレー系を中心とするブミプトラ(土地の子)が65%を占め、中国系(広東、福建、客家出身が中心)26%、インド系(タミール系が中心)8%という構成である。

 それぞれに宗教が異なる。マレー系はイスラーム、中国系の大半は仏教・道教・儒教、そしてインド系の多くはヒンズー教を精神的なバックボーンに生活している。言葉も食べ物も着る物も違う。

 しかし、私が一番驚いたのは生活のリズムを規定している「暦」が異なるということだ。イスラームにはヒジュラ暦が、中国系には中国農暦が、そしてヒンズー教にはヒンズー暦がある。 

 イスラーム暦は「太陰暦」で、1年が太陽暦に比べ約11日短い。中国農暦とヒンズー暦は「太陰太陽暦」で、数年に1度閏月があり(1年が13ヵ月)、太陽暦と大きくずれることはない。

 これらの多様な太陰暦が、太陽暦の上に幾重にも重なって、マレーシアのカレンダーには様々な民族や宗教の祭りが、祝日として赤く記されている。

 イスラームの断食明け大祭、巡礼祭、イスラーム正月、預言者ムハンマド誕生日、中国の農暦新年、ヒンズー教のディーパバリ(灯明祭)、その他にウィサック・デー(仏誕節)やクリスマスも祝日である。そしてマレーシアでは、民族構成が異なる州毎に、祝日も異なっているのだ。

 これらの祝祭日は、その日の主人公達にとって、先人達の足跡を振り返り、自らのアイデンティティーを再確認する精神的な節目なのである。そしてこの、「まつり」を家族や共同体毎に体感することによって、「民族」の「再生産」が行なわれている。

 そんな伝統色の強いアジアの暦に比べると、日本の暦は何か精気を失っているような感じがする。祝日の名称がファーストフードのように無味乾燥になって、民族の歴史や伝統があまり感じられない。

 日本人に精神的な影響を与えているのは元旦と強いて言えば、お彼岸ぐらいのものだろうか。後はコマーシャリズムに乗ったり、一部に記念行事があったとしても、国民の大半にとってはレジャーを楽しんだり、家でごろごろする、単なる「休日」にしか過ぎないのではないだろうか。

 例えば11月23日などは「勤労感謝の日」などとぜず、稲の収穫に感謝する「新嘗祭」として残すべきではなかったか。1月15日の「成人の日」や10月10日の「体育の日」が便宜的に移動したのも納得がいかない。

 日本で太陽暦が採用されたのは明治5年(1872年)のことだそうだ。しかし、昭和22年の調査では「新暦、旧暦を併用して使っている人が全国で44%もいたという。

 太陰暦を完全に捨て去ったのは、やはり戦後のことかも知れない。そして、その頃から日本は自然や祖先の歩みから切り離されて、どこか「おかしくなった」のかもしれない。

 日本人が元気になるためには、自然の恩寵の中で育まれた日本の「こよみ」に、民族の記憶を呼び戻すことではないだろうか。




万国共通のグレゴリオ暦、イスラーム暦、中国農暦、ヒンズー暦が一つになったカレンダー。