日本の四季は神様

10月のある夜、国際交流センターの若い仲間の門出を祝す会があった。皿鉢料理の文化がある土佐は食べ物が豊かだなあと何時も思うのだが、その夜も沢山の料理を前に、飲んで、語って、秋の夜を楽しく過ごした。

興に乗ってきた頃、突然カナダ人のハンター先生が「秋の気配」とポツリと言われた。皆の視線が一斉に先生に集った「気配」などという忘れかけていた言葉を外国人のハンター先生がさりげなく口にされたからである。

 「うーん、英語で何というのだろう」
 「中国語では『気息』かなあ」

秋の「気配」という言葉をめぐって文化論が弾んだ。

その夜、私は、日本に帰ってきたのだなあ、としみじみ思った(帰国は三年半も前なのに・・・)。

私が住んだマレーシアは赤道直下の常夏の国。雨季、乾季の2つの季節はあるものの、暑さに「終わり」はない。心身が弛緩したまま、「ゴムのように伸びた」時間が流れていく。

そんな中で、イスラームという宗教が生活の「けじめ」や「リズム」を作っていた。1日5回のお祈り、毎週金曜日の礼拝、そして年1回のラマダーン月の断食。

「日本の四季は神様」

イスラームの国で実感した言葉を思い出した。

日本人は四季の移り変わりに追われ、叱咤激励され、希望と歓びをもらって生きている。

「春の兆し」、「秋の気配」。ささやかな変化にも、心動かされる繊細な感受性。その感受性を表現する日本語という豊かな言語。日本人の「細やかさ」「やさしさ」もこの自然と無縁ではなかろう。

高知に帰って来てから、一層自然や四季の変化に敏感になった自分に気づいた。名も知らぬ野に咲く草花の可憐さ、木や和紙の感触、光と影の美しさ、無機質から有機質志向へと変化する自分を感じている。

今の私にはこのやさしい日本(ここ数日の寒さで厳しい日本も感じているが…)を捨てて、赤道直下の地に骨を埋める勇気はない。年をとったということだろうか。

「終わりのない暑さ」は脅威である。

しかし、そんなマレーシアにもⅠ日に四季があったなあ・・・。

暑さが未来永劫に続く南国では夕暮れから明け方までの夜の時間が大切だ。そして太陽が昇ったり、沈んだりする、夜と昼の境界の時間帯が特別の意味を持っている。

目を疑わんばかりの美しい夕暮れや朝焼け。朝の夜明け前のお祈りがどんなに清々しいものか。

日没時のお祈りは暑さから開放された安寧の時刻(とき)、自ずと湧き起る感謝の「唱(うた)」なのではないだろうか。

マレーシアの詩人バハ・ゼインの詩を白石かずこさんが次のように訳している。

 夜が闇をひとり占めするわけにはいかない
 おー、自然が夜と昼を織り成すこの不思議
 その意味するものよ

「不思議」の創造主はアッラー。イスラームもまた、「風土」と切り離して考えることはできない。

誰もいない土佐山田の無人駅で、1時間に1本しかない高知方面行きの汽車を待ちながら、ほろ酔い気分の私の感覚は、マレーシアと日本の間を行きつ戻りつするのだった。




南国の原風景。すらっと伸びた椰子の木は夜になると潮風に打たれて艶かしくなる。