「共食」の歓び
アジアに残る豊かさ
大学の食堂でバングラデシュ出身のカビールさんに会った。
「お帰りなさい。お国では少しゆっくり出来ましたか」
「いや、兎に角忙しかったです」。
「??・・・・」
「・・・先生、実は私、結婚してきました」
「ホントですか! それはそれはおめでとうございます。そう言えば、爪が赤いですね。『ヘンナ』と言うのでしょう? マレーシアでも花嫁さんが赤く指を染めていたけれど、男性もやるんですか」
隣に席を取ったカビールさんは食べることも忘れてニコニコして結婚式の話をしてくれた。
花婿カビールさんは34歳。花嫁さんは28歳で、自然科学分野で修士号を取得した才媛らしい。
親が決めた「settled marriage」で 結婚前には2、3度しか会っていないという。
結婚式は3日間続き、花婿、花嫁、それぞれの家が披露宴を催したそうだ。バングラデシュでは披露宴を9割が自宅で、1割が外の会場を借りて行うとのこと。
カビールさんは外でやったそうだが、招待客は何と350人も! それでも呼べない人が沢山いて、友人達に文句を言われたとか。話を聞きながら、私はアジアの村落共同体型社会の熱気とパワーを思い出していた。
マレーシアで私の運転手だったハッサンさんのお嬢さんの結婚式の前日の様子が甦った。
彼の家には3,40人はいたと思う。目の前でマレー・カンポン(マレーの村落)さながらの光景が展開していた。トレパンにTシャツ姿の男たちは外で会場作り。テントを張ったり、折りたたみのテーブルや椅子をトラックから降ろして並べたり、大きな鍋やポリバケツを抱えて屋外の簡易調理場に運んだりしている。
家の中では色とりどりのバジュ・クロン(マレーの服)姿の女たちが居間に陣取って、新郎新婦が座るひな壇の飾りつけをしたり、引き出物の「ゆで卵」に施す飾りを作ったりしている。卵は子宝に恵まれることを祈念するものである。
台所に行ってみると、ここでも大勢の女たちがしゃがみ込んで、石のすり鉢で唐辛子をつぶしたり、日本の数倍太いきゅうりを刻んだりと、明日の料理の下準備に大童である。小さな子供たちが大人たちの間をぬって、キャーキャー飛び回っている。
裏庭につながる台所の出口付近には、お米の袋や卵、野菜が堆く積まれていた。私は度肝を抜かれて「ハッサンさん、一体どのくらい準備したの! 破産しないの?」と尋ねた。
「そうだね・・・米は20キロ入りを8袋、卵は1000個、鳥は130羽。食べ物だけで、ざっと2千数百リンギット(当時約9万円、彼の給与の2倍に当たった)というところかな」
いつもの明るく屈託のない笑顔が返ってきた。
この「共食」のことを「クンドゥリ」と言い、村人が共同で作業を行うことをゴトン・ロヨン(ジャワ語、相互扶助の意)というが、私は何十回、「クンドゥリ」に呼ばれたことだろう。
結婚式の他、妊娠、誕生、割礼、死などの通過儀礼や断食明け、メッカ巡礼など節目節目にこうして「共食儀礼」を行う。喜びや悲しみを共同体で「分かち合う」のである。
アジアにはこのような「豊かさ」が残っている。「おいしさ」とは「共に」食べること、すなわち「分かち合う」ことなのである。
自宅で行われたマレー人の結婚式。花婿は元部下のノブリさん、招待者はざっと二、三百人はいた