多様性と自由を象徴

 今年6月、高知に移って間もない頃、前の仕事でお世話になった高石道明先生より「信濃の国から」と題するメイルを頂いた。

「昼のテレビで愛知万博のシンガポール館が紹介されていて、マレー人の服装を見たら伴さんを思い出しました。新しい職場でも是非あの優雅なお姿で出勤して下さいね」

 「伴さん、long time no seeですね。Re-union した母娘の写真有難う。伴さんはまだ、バジュ・クロンなんですね! 今もマレーシアを愛してくれているんですね!」

 これはマレーシアの友人から来たメールである。

 バジュ・クロンとはマレー女性が日常的に着ている民族衣装のことである。バジュは「服」、クロンは「籠」とか「檻」という意味で、イスラーム教徒の女性らしく「体を閉じ込める」ということらしい。

 名の通り体型をすっぽり隠した服である。ロングスカート(ウエストはゴム)とワンピースの上下から成る。素材は絹または柔らかい化学繊維。

 私はこのバジュ・クロンに魅せられて、ここ十数年来ずっと日常的に着ている。さすがに日本では冬は寒くて洋服になるが、季節のよい時は、今もバジュ・クロンを愛用している。その魅力は次のように纏めることが出来る。

①安心感。体型の美しさを強調する西洋の服と違って、体全体をすっぽり覆うので、スタイルに自信のない者にも安心感を与える。

②着心地のよさ。体を締め付けることがなくゆったりとしていてラクである。

③優雅さ。絹の場合、通風性があり、涼しく、冷房が効いたところでは反対に暖かい。肌触りが柔らかく、歩くと纏った布が風に揺れ、優雅な気分になる。

④東洋的。長い袖、襟の形、前身頃の打ち合わせなど、着物に通じるものがあり、「東洋の衣」を纏っているという自負と楽しさがある。幅一・二メートル、長さ四メートルの一枚の布から上・下を作るが、通常上下で模様が異なっており、反物の扱いに似ている。

 マレーシアの首都クアラルンプールの町を歩くと、実に様々な格好をしている人たちがいる。背広やジーンズ姿に混じってバジュ・クロンにトゥドゥン(頭の覆い)を被ったマレー女性、サロンを巻いてコピア(白い布の帽子)を被ったマレー男性、ノースリーブにミニスカートの中国女性、サリーやパンジャビドレスのインド女性等々。

 この衣装の多彩さはマレーシアの「多様性」と「自由」を象徴しているが、彼らはマレー人だからマレーの服を着、インド人だからインドの服を着ているというよりも民族の服を着ることによって、その民族になっているような気がする。

 私の母は着物を愛し、暑い季節以外は日常的に着ているが、「着物というのはね・・・」とよくその魅力について語ってくれる。

 母の話は長い物語になるのだが、二人が意気投合したのは、衣がもたらす民族の「矜持」ということだ。

 11月20日付の新聞にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、トゥルマギ、韓国の伝統衣装を着た各国首脳らの写真が出ていた。

 APECで開催国の民族衣装を着て記念撮影をする習慣は何時、誰のアイディアで始まったのか知らないが、私は何時もその写真を見るのを楽しみにしている。

多彩なアジアの伝統文化にスポットが当たり、世界の晴れ舞台で輝くのを痛快に思うのである。




マレーシアからの留学生とバジュ・クロンに身を纏った日本人女性たち(東京八王子市の大学セミナーハウスにて)