国境を越えた「危機」

 新しい勤務を始めて2か月が過ぎ、夏休みがやってきた。8月11日、私は東京にいて、数時間後にマレーシアに飛ぶはずだった。念のためと思い、友人に国際電話をした。

「今から予定通り行くけれど、空港へのお迎えよろしくお願いしますね」

 私は久しぶりの「里帰り」にうきうきしていた。クアラルンプールには自分の「部屋」を残してある。

「伴さん、実は・・・。来るなっていうんじゃないんですよ・・・、でも・・・・」

「なあーに? 一体どうしたというの?」

「・・・ヘイズがひどいんです。非常事態宣言で14日まで学校も大学も閉鎖です。伴さんは喘息もあるから、気をつけた方がいいと思って・・・」

「少し様子を見た方いいというわけね・・・。考えてからまた連絡します」

 ヘイズとは煙害のことで、野焼きや工場の煙などが原因で、肉眼では認識できない小さな塵が多数空気中に浮遊し、太陽が地表に届かなくなる現象をいう。

 以前マレーシアに長期滞在していた折に何度か経験したヘイズの不気味さ、怖さを知っている私はショックだった。その時は隣国インドネシア・スマトラ島の野焼きや山火事が主たる原因で、季節風が災害を煽っていた。

 車は日中でもライトをつけ、道ゆく人は皆白いマスク姿、気管支炎や呼吸困難の病人も続出した。

 あの、この世も終わりかと思うような灰色の空がマレーシアを覆っている? 忘れていた悪夢がマレーシアを襲っている! おー、インシャーアッラー、「一寸先は闇」とは正にこのことだわ。

 勝手知ったる第二の故郷への里帰り、気楽な気分で家を飛び出してきた私は「海外安全情報」はおろか、最近のマレーシア事情なども確認せずに、数時間後に機上の人になろうとしていたのだ。私は忘れていた「国境」というものにはっとした。

 まず母に電話をかける。ヘイズの怖さを知らない母は落ち着いていて、「自分で判断して決めなさい」とすこぶる冷静。

 次に航空会社に電話をする。マレーシアで買った1年有効・帰路オープンのチケットを使用していたので、3時間後の便の予約を簡単に変更することが出来た。割引切符でなくて幸い。

 次に宅配業者に電話をし、事前に成田に送ってあったスーツケースの引き取り日を延期してもらう。こちらもノー・プロブレム。

 余談だが、私は「宅配便」は素晴らしい日本の文化だと思っている。基本に「物が盗まれない」社会、「約束をきちんと守る」社会があり、その上でスピードと勤勉さなど、日本人の特徴が見事に発揮されていて日本社会の成熟度を証明していると思う。

 さて、こうして「待機」を決めた私は、手際よく10数分のうちに問題をすべて処理していた。ⅠT時代とグローバル化時代の陥穽と恩恵を一度に経験した私はどっと疲れを感じ、へなへなと座り込んでしまった。

 グローバル化時代の「危機管理」、そんなテーマが私の頭をよぎった。9・11同時多発テロ、昨年末のインド洋大津波・・・。 

 私自身も何度か国境を越えた「危機」の対応に迫られたことがあるが、その最大の「危機」は1999年、地球の裏側で肉親に起きた悲しい出来事だった。




青空にそびえるペトロナス・ツインタワー。二十世紀には世界で最高層の建物だった。(クアラルンプール)