高知新聞連載『故郷(ふるさと)で世界に生きる』
2005年12月5日~12月30日(全23回)

筆者のことば―マレーシアに魅せられて

 9年前(1996年)の秋、私は約20年勤めた国際交流基金(現在は独立行政法人)を突然辞めました。

 1991年から96年春まで駐在していたマレーシアに魅せられて、「マレーシアに帰ろう!」と自分を突き動かす情熱の赴くまま、組織を、そして国を飛び出したのです。

 坂本龍馬やジョン万次郎を生んだ土佐の血が騒いだと言えばカッコがいいのですが、今思えば、若気の至り、無謀としか言いようがありません。

 私は一つのボタンを押すことによって、組織的なバックも、肩書も、経済力も失い、親兄弟とも遠く離れて、一人、文字通り「裸で」異国の地に立ったのです。40歳半ばにしての、ゼロからの苦しい再出発でした。

 しかし、今振り返れば、この私にとっての「やむにやまれぬ」行動が大きな転機となって、私はより「豊か」で「確かな」人生を送れるようになったような気がします。

 その後私は、マレー語を学びながら、マレーシアの大学で日本語を教えることになり、少しずつ文章を書くようになりました。

 そして2002年の春、マレーシア体験記を書き上げたことで一つの区切りをつけ、帰国しました。

 東京では3年間、財団法人大学セミナーハウスに勤務し、大学の教職員や学生、一般市民向けのセミナーを企画・実施する仕事をしました。

 私がすべて(実は「すべて」ではなかったことが後でわかりましたが)を投げ打って飛び込んだマレーシア。私はこの東南アジアの多民族国家で一体何を学んだのか。

 そんな話も織り交ぜながら、グローバル化時代のテーマや考えるヒントをお届けできたら望外の幸せです。どうぞ、年末までおつき合い下さい。

 

略歴
☆1949年高知県春野町生まれ
☆東京外国語大学卒
☆国際交流基金勤務(1978年~96年)、マレーシア国民大学日本語講師(1997年~2001年)、財団法人大学セミナーハウス企画広報課長(2002年~05年)を経て、2005年6月より高知工科大学教授・国際交流センター長
☆父親は元駐中国公使の故・伴正一
☆著書に『マレーシア凛凛』(2002年、めこん社刊)がある
☆高知市在住