今年は冷夏で、不完全燃焼の方も多いと思うが、私にとっては「熱く」、充実 した夏だった。8月7日、一足先に盆休みをとって帰省した私を待ち受けていたのは、 「国際交流推進員」(?)としての忙しい日々だった。
 前号でご紹介したマレーシア日本語協会リーダーのエドワード・リーさんと同協会メンバーのチア・カーセン君(大学生)が本場高知の「よさこい」を学びに来たのだ。当初マレーシア側は15、6人の「使節」を派遣したいと意気込んでいたのだが、いざ蓋を開けてみると、費用が負担できないなどの理由で(日本の10万円はマレーシアの感覚では30万円以上の感じである)結局二人だけになってしまった。ホーム・ステー先を苦労して確保していた当方としては、いささか拍子抜けだったが、初めての試みで不安もあったので、内心ホッとしたところもある。このような「計画倒れ」や「すれ違い」は草の根の国際交流にはつきものなので仕方がない。

 さて、エドワードさんは私がかって国際交流基金クアラルンプール事務所に勤め ていた時の部下であり、共に理想を語り合った「同志」でもある。我が家に泊ってもらい、母や東京からやってくる弟家族とも親しくなってほしいと思った。滞在予定は 8月8日から12日までの4泊5日である。

 ところが、彼らが到着した8月8日は台風10号が南日本を直撃した日であった。何 も知らず(知らされず?)朝早く関空に到着した二人はそのまま伊丹へ。そこで高知行きの便がすべて欠航となったことを知る。電話で相談を受けたものの、こちらもオロオロするばかり。15分後に再びかかって来た時は「汽車で行きます!もうすぐ新大阪 行きのバスが出るので、早く乗らないと!じゃ」と鉄砲玉のようなメッセージ。さす が、訪日回数の多いエドワードさんらしい俊敏さだった。

 3時過ぎだっただろうか。トランクの他、ダンボールをいくつも抱えてマレーシ アからの若い客人が嵐の真っ只中到着した。車社会のクアラルンプールから初めて憧れの日本にやって来たカーセン君は当てが外れて兄貴分の重い荷物を持たされ、あちらの駅、こちらの駅の階段を駆け上がったり、降りたり、さぞかしびっくりしたことだろう。雨に濡れた二人の姿を見て、思わず吹き出してしまったが、そのうち抱きしめたいほどいとおしくなってしまった。

 早速開けてくれたダンボールの中からは、中秋節の月餅、マンゴー・プリン、カメロンハイランド産のBoh ティーなど、日本でお世話になるであろう全ての人々の ためのプレゼントが溢れ出てきた。「どうしてこんなにたくさん持ってきたの!」と 私はエドワードの律儀さに改めて舌を巻いてしまった。

 一方東京から汽車で高知に向かっていた弟と小学生の甥は、タッチの差で瀬戸大 橋が不通となり、本州側で足止めを食ってしまった。

 その夜は「歓迎会」は中止となったが、近くの魚屋が届けてくれた高知の新鮮な刺身、タタキ、五目そうめん、母が揚げてくれた天ぷら、私自慢の味噌汁、マレー シアにはない桃などで家庭的なおもてなしをした。カーセン君は刺身は食べ慣れないようだったが、本場の(?)天ぷらには「テ・ン・プ・ラ?!」と感動した様子で、台所に立つ母の手元を観察していた。デザートの「桃」は文字でしか知らなかったので、珍しそうに写真に納めていた。

 翌日弟家族がやって来ると、我が家も高知市も一挙にお祭りムードに突入した。今年50周年を迎えた高知のよさこい祭りには史上最多の187チーム、約2万人が参加した。エドワードさんたちが合流した「よさこい国際交流隊」は約100人中、半数が高知在住の外国人。高知のようなところでもグローバル化の波が押し寄せていることをひしひしと実感し、「踊り」が世界共通言語であることを知った。メンバーの数人が7月19日のクアラルンプールのBON ODORIに参加したばかりで、踊りもその時と同じものだったので、彼らは難なくチームの一員となった。リハーサル、2日間にわたる本番と、二人はよさこいを「踊る」楽しさを満喫したと思う。

 合間をぬって橋本大二郎知事や松尾徹人市長にも表敬訪問した。橋本知事は数年 前にマレーシアを訪れており、クアラルンプールのBON ODORI のことをご存じだった。また、松尾市長は別れ際に英語で“See you in Malaysia!”とマレーシア訪 問の意欲をほのめかされていた。エドワードさんは、マレーの民族衣装姿で、マレーシア製のゴムの木で作られら「鳴子」(よさこい踊りには欠かせないもの)や準備してきた資料をプレゼントし、流暢な日本語で「マレーシアのよさこい」について報告するなど、立派に交流使節としての任を果した。私も便乗して「マレーシアは親日的で、いい国です」と大いにPRに務め、拙著『マレーシア凛凛』を手渡した。

 高知新聞にはエドワードさんの投稿記事(声の欄)と記者によるインタビュー記事 「マレーシアから”留学生”2人―鳴子は現地のゴムの木製」が掲載された。

 弟は「躍ってばかりいたのでは、阿呆。日本の歴史も知ってもらわなければ」と、二人を高知城や坂本竜馬の銅像が黒潮を見下ろす桂浜へも案内し、カーセン君には刀(残念ながら玩具)をプレゼントした。

 汗と笑いに満ちた4日間は瞬く間に過ぎ、12日朝エドワード一行は汽車で徳島に 向かった(好奇心旺盛なエドワードはこの機会に、「阿波踊りも!」というわけだ)。

出発の朝、父を祭った神棚に手を合わせて「お世話になりました」と言ってくれたのが嬉しかった。今年の盆は故郷の父の家で、時空を越えた不思議な出会いと再会、そして交流があったのだ。

 疲れと満足感と、そして祭りのあとの寂しさを胸に東京の日常に舞い戻った。

(マレーシアタイムズ9月号掲載)