56年ぶりにルーツへ

 
  人生とは何と素晴らしく、不思議なものなのだろう。

 6年前に8歳年下の弟を南アフリカで失った時、「人生とは何と悲しく、不思議なものなのだろう」と鎮魂歌に書いた。その同じ人間が、今また逆の意味で運命の不思議を全身で感じている。

 今年の6月、私は56年ぶりに生まれ故郷の高知に戻り、父亡き後一人暮らしをしていた77歳の母と一緒に暮らすことになった。

 私たち家族のことを心にかけて下さる方々のご協力とご理解を得て、突然の東京からの転職話もスムーズに運んだ。何よりも「親孝行」という大義名分が人々の共感を呼び、祝福されての人生の再出発であった。

 インシャーアッラー(In sha’a Allah)

 イスラームの国、マレーシアで10年間暮らした私は、アラビア語で「神の思し召し」という意味のこの言葉を、今、しみじみと受け入れている。と同時にこれは日本流に言えば「カミ」となった亡き父の導きでもあると思う。
 
 気がつくと、二つの文化の中で物事を考える自分がいる。

 帰高して1か月経った頃、高知新聞学芸部の女性記者にお会いした。拙著『マレーシア凛凛』(めこん社刊)を読んで下さったことがご縁で、「是非連載の執筆を」とのお誘いを受けた。

 マレーシアでの体験やその経験を通じて日本に回帰していく心の動きなどを、父や母、弟のことなどプライベートな話も織り交ぜて、筆の赴くまま自由に書いてよい、との大変有難いお話だった。

 考えてみると、私がこうして高知に戻り、母と暮らすようになったのも、マレーシアの体験があったからかもしれない。

 逆に家族のプライベートなことを抜きにして私のマレーシア体験は語れないとも思う。マレーシアと関わった10年は、実は「自分探し」の旅でもあったのだ。

 如何にして自分は、他を知り、己を知り、そしてルーツへと回帰して行ったのか、そして今、故郷高知でどのような「未来」に向かって生きようとしているのか、偽らざる自分の心を描いてみたいと思うが、さて、どんな話が飛び出すことやら・・・、 インシャーアッラー(この言葉はこのように軽く日常的にも使います)。

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 6月4日夕刻。私は「伴正一」という門札のかかった、本籍地高知市西町の家に戻ってきた。「戻って来た」というのは正確ではない。今まで休みの折などに何十回と帰ってきた家ではあるが、「住む」のはこれが初めてだからだ。

  母と生活するのは大学を卒業して以来三十数年ぶりのことである。

「ただいま」
「お帰りなさい」
「どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ」

 日本語の授業で外国人にまず初めに教える文型を、母と娘はしっかりと声に出していた。
                       

(高知工科大学国際交流センター長)




高知工科大学に隣接する鏡野公園。春は桜、秋は彼岸花が美しい