食の営み(The act of eating)

梅シゴトの季節となりました
「春の食卓ーわが家の献立①~③」を書きながら、献立を立てる時、私はどんなことを考慮しているのだろうか、と改めて考えてみた。三つの柱があるように思うのだが、三つのことを同時に満たすことは難しい。せいぜい二つ、一つのこともある。
1.何が食べたいか
その日、体が欲しているものは何か。食べたい時に食べたい物を食べられるのは、最高の幸せではないだろか。美味しさの原型というのはこの時に感じられる満足感のことではないだろうか。栄養のことや冷蔵庫の残り物のことなど気にせず、純粋に?何が食べたいかだけを考えた食事は欲求を満たし、幸福感をもたらしてくれる。
ところが、老いてくると若い時にあった「○○を食べた~い!!」というあの強烈な欲求が減退してくる。つまり、食に対す欲望、楽しみが減退してくるのである。友人と外食をした時など、「何を食べたい?」と聞かれても、「別に~、何でもいいわ」まどと可愛げのない返事をしていることがある。
先日花桃の遠足に行った帰りのことである。仲間の皆さんを送り届けてほっとすると、急に疲れが出て「国虎に寄ってラーメンを食べて帰らない?」と運転をしてくれた若者を誘った。普段はラーメンなどほとんど食べないのに、どうしてラーメンなのか、しかも濃厚なラーメン! 自分でもその「欲求」に驚いた。一日外で遊んで、体が欲求したのだろうか。あんなに美味しくラーメンを食べたのは久々のことだった。
年とともにいろいろなことに対して「淡泊」になっていく。しかし、「欲求」は「生きる力」であり、大切にした方がいい。我慢や遠慮はせず、体の欲求に耳を傾け、食べたいものを美味しく食べるー残りの人生、そんなことを大事にしていきたいと考える。

❤今日はステーキが食べたい!
2.健康によいものを!
ところが、食べたいものだけを食べていると食が偏ってしまう。別の視点も大切である。栄養のバランスであるが、あれもこれも食べなくてはと考え出すと、強迫観念のようなものになってしまう。
以前私の体を心配して健康食を勧めて下さった方がいた。玄米のサプリメントを食前に取り、肉や乳製品、小麦粉は断って、和食に徹するようにと指導された。暫く続けてみたがうまくいかなかった。食が細っているので、サプリメントを飲むと後の食事が美味しくなくなってしまい、あれもダメ、これもダメと制限が多すぎて、献立を立てる楽しみもなくなってしまった。私は遂に脱落者になったことを宣言した。
肉や魚はなるべく偏らないこと、旬の野菜を多くとることなどぐらいが、今の私に実行できることである。やはり、食は楽しくなくちゃ、と思っている。

❤今日は健康的な和食(山かけ丼、キンピラごぼう、ほうれん草のお浸し、ミョウガと豆腐の味噌汁)
3.冷蔵庫に残っている物を上手に使う
冷蔵庫の残り物を上手に消化することは日々努めていることだ。しかし、なかなか使い切れない。食べ切れなかったおかずや萎れた野菜などがどんどん残っていく。勿体ない!と思うのだが、定期的に点検して捨てざるを得ない。
快適に暮らすためには残り物を上手に使うとともに、この「勿体ない!」という思いを振り切り、「潔く捨てる」ことも必要だ。大袈裟だが、今の私にとって日常生活の最大の課題である。

❤今日は冷蔵庫に残っている野菜で回鍋肉
食の営みはなかなか大変です。しかし、いつまでも台所に立てるわけではない。やがて、ワンプレートの食事となり、宅配飯を食すようになり、最後は食欲がなくなり、誤嚥で食べることすら出来なくなってしまうのだろう。悲しいけれど、そんな憂鬱な「未来の食卓」を想像する日もあるのです。

アメリカで買ったこのプラスティックのお皿は70年使っています。最後はこの1枚とスプーンかな?
お皿の上の布は何だかわかりますか? お出かけ用のマイ・ナプキンです! よだれかけですね。花を挿したところがボタンホールになっていて、上衣のボタンをかけられうようになっています。(男性用?)
実はこの頃よく食べ物をこぼして服を汚すようになったので、「そうだ、あれを使ってみよう!」と箪笥から引っ張り出してきたものです。




