手漉きの和紙、それは正に本物です

猛暑、酷暑の真っ只中で今日は立秋。「秋」という文字を見るだけでも救われる思いがする。
8月の和風月名は葉月、旧歴では文月である。文月―私は長いこと文(ふみ)の月だと思っていた。改めて調べてみたら、稲の穂が実る月―穂含月に由来していると言う。また、七夕に書物を干す行事があり、書物(文)を披く(ひらく)月―文披月からきているとも言われているそうだ。
文月は私にとって、文(手紙)をひらく月。終活の一つとして先月から段ボール2個の古い手紙を整理している。ほとんどは母からの物である。母は「手紙魔」と言われるほどよく手紙を書く人だった。母が亡くなった後、2,3人の方から「これ、お母様からのお手紙です。2,3通だけ記念に頂いておいて、後はお嬢さんにお返しておきますね」と懐かしい字の手紙の束を渡されたことがある。
娘には日記のように折々の風景、生活、心境をしたためて送ってきた。特に夫が亡くなり、娘がマレーシアから帰って多摩の野猿峠に住んでいた頃はほぼ毎週のように、便りが届いている。心の寂しさを埋めるかのように、そして自分を鼓舞して立ち直る姿を見せるかのように...。封書の宛名は必ず筆書きで、時には半紙に一筆さらさらと、時には顔彩で挿絵が描かれていることもあった。
母の一生は一見華やかでもあったが、性に合わない選挙の幾たびかの試練、息子の早逝、夫の看病と旅立ちなど、辛く、悲しい体験も乗り越えてきた。母は「書くこと」で、心を癒し、慰め、整理し、平安を得ようとしていたのかもしれない。筆を持つことは、母の人生の中で、「料理」、「着物」、「旅」と並んで大切なものであったのだろう。
振り返って見ると、私たち親子は絆が強かった。東京―南アフリカ/パキスタン、東京―北京、東京―高知、マレーシア―高知、再び東京―高知と離れて暮らしていても、頻繁に行き来していたし、いつも電話、手紙、ファックス、そしてe-mailなどで繋がっていた。さすがに母はLineまでは体験せずに旅立ってしまったが...。
手紙は母と娘の絆の大切な記録である。しかし、今、私は自分自身の「いつか来る、その日」のために断腸の思いでそれを整理・処分をしている。 思い出よ、ありがとう! 思い出よ、さようなら! ...とつぶやきながら...。
これまで母のエッセイをいくつか紹介してきたが、娘による母のデッサンの仕上げに(?)「手漉きの和紙、それは正に本物です」と題するエッセイを掲載する。娘のブログで母の姿が蘇ったら,それも供養になるかな。
間もなく2026年のお盆がやってくる。

手漉きの和紙、それは正に本物です
「手漉きの和紙」というのと「手漉き風の和紙」というのがあります。
手にとった時、その風合いですぐわかりますが、「手漉きの和紙」の封筒には必ず「耳」があります。お値段は、封筒1枚70円から100円ほどで書損じは許されません。
私は封筒書きはできるだけ筆を持つようにしています。
先ず墨をすります。
真っ黒い墨よりも青墨のほうが好きです。
あたりに墨の香が漂ってきます。
先ず池で筆をやわらかくしてから、墨を含ませて手漉きの和紙封筒の上に筆を落とします。
筆と墨と手漉きの和紙、三位一体の醸し出す感触は、指の先から全身に伝わってきます。
よくぞ筆を持つ身になったとわが身の幸せをかみしめつつ、私は一気に筆を運ばせてゆくのです。
「手漉きの和紙、それは正に本物です。」
夫がまだ元気であった頃、その話をしました。
「そうだ。俺達はそれでゆこう」
「そうですね」
と誓ったことが今となっては懐かしい思い出となりました。
その夫が亡くなって丁度一年。その人生は「本物」でした。


祖父が硯用に使っていた布袋(ほてい)さんの水差し。母が紀念(かたみ)にしていた。
リンク:Ⅰ.家族の物語ー2.母




