おじいちゃんと鯛のおはなし
八月はお盆。今は亡き大切な人たちに会える不思議な月である。
他の行事と異なり、お盆は新暦ではなく、「月遅れ」で祀ることが多い。その理由は新暦7月の頃は農繁期で忙しいからだとか。また8月の方が夏休み中で皆が帰省しやすいからかもしれない。
「家族のレシピ」のコラムを書き始めて、亡き人々のことをいろいろと思い出すようになった。母が繰り返し語っていた、祖父母の逸話を書いておかなければと思う。エッセイも残っているので、「ぬか漬け物語」と併せて記しておきたい。
西風の吹き荒れる日
毎年決まったように、立春が近くなると西風が吹きまくり、今日のような寒い寒い日が数日あります。 その頃になると私は必ずある日の母の姿を思い出すのです。
それは、こんな西風が吹き荒れている日でした。炬燵に入っていた父は「お母さん、今日は妙に鯛茶漬けが食べたいなあ。さぞ、うまいだろうなあ」と甘えるような口調で母に言いました。母は始めのうちは「そんな無理なことを・・・」というような顔をしてそっぽを向いていましたが、やおら立ち上がり、出かける準備を始めました。何枚も重ね着をし、ショールで頬被りをし、裏の木戸からそっと出かけて行きました。
その当時、両親が住んでいる辺りには鯛など売っている店はなく、通称「闇市」と呼ばれていた5丁目の商店街まで行かねばなりませんでした。母の足で30分近くはかかったでしょうか。その上、途中、鏡川というかなり大きい川があって、そこには新月橋という古い木の橋がかかっていました。西風はその橋にまともに吹きつけ、小柄な母などうっかりすると吹き飛ばされるようでした。
その日の夕餉は熱々の鯛茶漬け、父は本当に満足そうに食べていました。そして「お母さん、この茶漬けはうまいねえ」と。母はその父の姿を駄々っ子を見守るように、黙って満足そうに見ていました。
その母は突然ある夏の終わりに父より先に逝ってしまいました。
父の魂も母を追ってこの世を離れたかの如く、その後数年間の父はまるで亡き骸のようでした。(了)
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母が亡くなる前々日、不思議なことが起こりました。 見知らぬ人(実は弟武澄の知り合いでした)が、大きな鯛を片手に、突然玄関に現れたのです。
「今釣ってきたばかりです。食べてみてください!」
釣ったばかりの鯛をいただくなんて、後にも先にもこれが初めてのことでした。
その夜、弟はあまり経験もないのに、時間をかけてその鯛を必死でさばき、お刺身と潮汁を作ってくれました。身に沁みる、美味しい夕食でした。「隣の部屋で母の命の炎が消えようとしている時に、こんな贅沢を・・・」と申し訳ないと思いつつも、私は今まで味わったことのない「不思議な」安らぎを感じるのでした。
そうだ。これはきっと鯛が好きだったおじいちゃんが母を迎えに来たのに違いない! 暫く経って私はそう気づきました。
「久子,よう頑張ったね。もうよかろう。お迎えにきたよ」
末っ子の母は祖父母の可愛い娘に戻って、魂を祖父に導かれて旅立つ準備を始めたに違いありません。
私は時々この不思議な体験を思い出し、目には見えなくとも霊魂というものがあることを心から信じるようになりました。
13日は盆の迎え火です。前庭で松明(たいまつ)を焚いてお待ちしますので、どうかご先祖の皆様、迷わずに帰って来てください。(美喜子)
★火曜市で求めた松明。13日の迎え火と16日の送り火に使います。
★弟武澄、帰省中の武澄の次男正春一家と松明を焚いて迎え火をしました。
★翌日は同じ場所で武澄の長男正海の子供たちと花火をしました。
リンク: 母と祖母のぬか漬け物語:https://ban-mikiko.com/1931.html