米英の空爆は11日目に入り、冬が近づくアフガニスタンでの反テロ戦争はますます深みに嵌まっていく。他方、米国を中心に世界各地で炭そ菌が検出されたとのニュースが瞬時に世界中を駆け巡り、今度は「生物テロ」の恐怖が欧米先進国の市民生活を脅かし始めている。
 私たちは事態の推移を案じ、判断材料を求めてテレビにしがみつき、新聞をむさぼり読む。国内のメディアだけでは満足できず、CNNなどの欧米メディア、更には最近俄かに脚光を浴びてきたカタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」の報道なども追う。

 しかし、ふと我に返ると、メディア戦争に振り回され、過剰反応をしている自分たちに気づくことはないだろうか。今こそ「冷静さ」が求められている時ではないのか。

 10月13日米国ネバダ州のマイクロソフト関連の会社でマレーシアから届いた封書から炭そ菌が検出されたとのニュースはマレーシア政府や国民にとって、大きなショックだった。その数日前にも「米国の反テロ作戦は、マレーシア、インドネシア、フィリピンのテロ組織も標的」という内容のニュースが米国で流れたばかりだった。

 確実な証拠がないまま、マレーシアが国際テロに関与しているようなイメージを流され、マレーシア人は困惑し、何者かの陰謀ではないかと疑う者さえいた。何れにしても、マスコミがプラス・マイナス両面で大きな威力をもつことを教えられた出来事だった。

 先日、日本の方から今回の一連の大事件に関し、マレーシアの反応を、政府、国民、メディアの別に知りたいとの照会があった。私はこの質問のたて方そのものにハッとした。

 マレーシアの動きを見ていると、どうもこの国では、政府(マハティール首相と言った方がいいかもしれない)がまずはっきりと見解を打ち出し、あらゆる機会を捉えて国民への説明に努める。メディアがそれを徹底させる。そして、政府や首相の考えをサポートする意見が次々と紹介され、国民を説得・納得させていくという形で世論形成がなされているように思う。

 もちろん政府が流す情報だけに頼るのを良しとしない人は、より「客観的な」情報を求めて、衛星放送や外国の雑誌・新聞を「原語」で読んでいる。この国には、英語や中国語、アラビア語などが出来る人々が大勢いるのである。

 政府の方針や考え方は日々のニュースで伝えられる(首相の動向がニュースにならない日はほとんどない)。首相や閣僚の発言は新聞では「引用」の形で、テレビでは「触り」の部分が生の声で数分間にわたって紹介される。視聴者はその声や表情からもメッセージを読み取ることができる。

 10月15日には「首相に聞く」という1時間の番組が組まれ、9月11日の同時多発テロ以降の「世界の問題」、「マレーシアの問題」に関するインタビューが放映された。

 その後も外相、情報相、副内相ら、政府関係者が次々にテレビに出演している。マレーシアの報道の特徴は、解説委員や学者の意見よりも、実務家の意見がより多く紹介されることだ。しかも、数分とか十分という単位ではなく、半時間とか1時間とかじっくり時間をかけて行われる。実務家の発言は当然ながら、「解説」や「評論」に留まらず、実社会を動かしていく上での具体的な話となる。

 10月第2週には情報省の企画で「9月11日以後の世界」と題するフォーラムが3カ国語で行われた。マレー語、英語、中国語による3種類の座談会が日時を変えて放映されたのである。いかにもマレーシアらしい試みだと感心した。

 マレーシアは複雑な多民族国家であるが、今回の件では政府とマスコミの協力が功を奏して、国民的コンセンサスが整いつつあるように思う。

 コンセンサスとは即ち①テロ活動を非難し、反テロ作戦に協力する ②しかしながら、米英のアフガンに対する武力行使には反対する ③タリバンは支持しない ④テロが起こる原因を究明し、根本問題を解決するための国際会議開催を急ぐ、の四点である。

 確かにマレーシアのメディアは政府の監視下に置かれており、「言論の自由」という側面からは問題ありとする人もいるだろう。しかし、発展途上国マレーシアの安定と団結のためには、現段階ではこの方法が「よりよい方法」なのかもしれない。世界一言論の自由がある日本の皆さんはマレーシアの政府とマスコミの関係についてどう考えるだろう。