母のスポンジケーキは不滅です!

研子さんが作って下さった、母のレシピのスポンジケーキ
師走の半ば、今年最後の”高貴香麗の乙女たち”の集いを我が家で開いた。お互いにこの1年を元気に過ごせたことに感謝し合い、少し早いクリスマスを祝った。

左から澄子さん、政代さん、道子さん、研子さん
この日のアフターヌーン・ティーのメニューはサンドイッチ3種、サモサ、そしてメインのクリスマスケーキ。スパークリングワイン、柿と柚子のデザート、アルメニア旅行土産の珍しいお菓子の差し入れもあった。
ケーキは母の料理教室の一番弟子だった研子さんが作って来て下さった。姿もお味も、間違いなく「母のスポンジケーキ」! 私は母のレシピが我が家以外でも受け継がれていることに胸が熱くなり、研子さんとの母娘二代にわたる友情に感謝した。そしてこのレシピの長い物語を想い起こしながら、ケーキを一口、一口、至福の中で味わったのだった。
”マミー、貴方のスポンジケーキの物語は続いていますよ!” ❤ ❤ ❤

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🎄 🎄 🎄 このスポンジケーキの物語を再掲します。 🎄 🎄 🎄
このスポンジケーキ(日本ではショートケーキと呼ぶ)もレモンパイと同じくらいの歴史がある。いちごと生クリームをふんだんに使うので、昔は贅沢なお菓子だった。お誕生日やクリスマスなど「ハレの日」のお楽しみだった。父の誕生日は大晦日だったが、正月準備で忙しいのに、母は頑張ってこのバースデーケーキを焼いてくれていた。その甲斐甲斐しい母の白い割烹着姿が目に浮かぶ。
最近は義妹の貴世子さんが作ってくれるが、私も久しぶりにチャレンジしてみた。ケーキの女王さまですね!小さい頃は大きなケーキの残りを翌日奪い合って食べたものだが、今は弟夫婦と私の老人家族で、こんな大きなケーキ、一体どうしましょう?!
家族のレシピ―お菓子&デザート編、5月のレモンパイで始まり、今年はスポンジケーキで〆ます。 Merry Christmas & A Happy New Year! (2021年年末、美喜子)
作り方 ⇒母のレシピ㉞ スポンジケーキ参照
あとがき
このレスピーは47年前、或るサンフランシスコの老婦人から頂いたものです。そのお住まいは、湾と赤いベイブリッジが一望のもとに見えるクリッフハウスにありました。美しいお伽の国を思わせる白壁の大きな家に一人住まいをしておられました。その老婦人はもうとっくにこの世を去られていますが、その美しい面影とともに、このレスピーはしっかり受け継がれています。クリスマスに、子供達の誕生日に、来客用に焼き続けた、もっともデリケートで豪華なケーキです。
時間をかけて仕上がった苺のケーキを前にした子供の頃の三人の笑顔は何時までも忘れることができません。ケーキ作りは私にとって若き日の追憶の一時かもしれません。
50年経った今、その子供たちはそれぞれに家庭をもち、遠くアフリカ(次男家族)やマレーシア(長女)、そして東京(長男家族)に点在しています。
我が家には、次の世代の女性が3人います。誰かがしっかり受け継いでくれることを願っています。(1998年、久子)

★母が桜の季節に作った元祖日本のスポンジケーキ。

★母が作ったクリスマスケーキたち!

★サンフランシスコのGolden Gate Bridge
時は流れ~ 2021年

★見てください! マミーに追いつきましたよ!?

★手作りの味わい?

★このお皿は母が求めた物でしょうか…。食器棚に隠れていました。

★1人分追加でテーブルセッティングが崩れてしまいました・・・
2022年

★今年お初のスポンジケーキ。

★私の誕生日に義妹貴世子さんが作ってくれました。

★では、いただきます!
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澄子さんが高知新聞あけぼのに寄稿された「クリスマスの思い出」、とても素敵なお話です。





