マレーシアに来たばかりの頃、ディーパバリーのカードを美しいと思った。ピンク、モスグリーン、紫など淡い配色で、蓮の花や孔雀などが描かれている。思わず「まあ、きれい!」と衝動買いをしてしまった。そして家に帰ってから、さて誰に送ろうかと頭をひねり、名刺入れをめくってインド系の名前を探すのだった。そうだ、パーティーで名刺交換をした写真家のエリック・ピーリス氏に送ってみよう!
 数日後、職場に電話がかかってきた。
「ミス・バン、カードありがとう。とても嬉しかったよ。・・・。でも僕はヒンドゥーじゃないんです」
「えっ? エリックさんはムスリムだったんですか。それは失礼しました」
「いいや」
「じゃ、クリスチャン?」
「それも違いますなあ」
電話の向こうで声が笑っている。
「...」
「僕はね、実は仏教徒なんですよ。仏教名はマヒンダ。我が家はスリランカ出身でね」
 暫く楽しい問答が続いた後、エリックさんは「おっといけない。仕事の邪魔をしましたな。ともかく、カードのお礼をと思ってね」と言って電話を切った。
 マレーシア住人新米の頃の失敗談である。

O.ドン・エリック・ピーリス氏。マレーシア屈指の芸術写真家。1939年生まれ。『ニュー・ストレーツ・タイムズ』の記者カメラマンを経て、現在フリー。仏教、特に禅などの影響を受けたモノクロの静謐さを秘めた作品を多く発表している。アジア人らしい、穏やかで優しい表情の奥には東洋の叡智が秘められている。私が悲しみに暮れていた時、こんな言葉をかけてくれた。
“Nothing is immortal”
“Everything has its function(work)”
”Be aware!”
“Do not be attached”
“Do not regret, but learn!”
マレーシアの仏教との出会いはエリックさんが作ってくれたと言える。

さて、マレーシアでは華人を中心に人口の約2割が仏教徒である。仏誕節のウィサック・デーは祝日である。ウィサック・デーはウィサック月(5月)の満月の日いあたる。ブッダが生まれたのも、悟りを開いたのも、入滅したのもウィサックの満月の日だったという。
 マレーシアの仏教は大乗仏教(Mahayana)の流れを汲み、儒教や道教と混交したものと、タイなどの小乗仏教(上座部仏教、Theravada)の流れを汲むものがあり、それぞれ別の日にウィサック・デーの祭りを行っていたのだが、1962年に歩み寄り、全国的な「祝日」を勝ち取ったという。その話を聞いた時、アジア一帯に広がる大乗仏教と小乗仏教がマラヤの地で交わり、そして和解したことに歴史のロマンを感じずにはいられなかった。
 インド系が多く住むブルックフィールドにマハ・ヴィハラという有名なお寺がある。住職は代々スリランカ系だが、今では信者は中国系が多い。ウィサックの満月の夜、数万の人々が手に手にローソクを持って、この寺を出発し、ダルマ(仏陀の教え)を思い起こしながら、独立広場まで静かな「光の行進」を行う。
 毎年その仏教徒たちの姿を眺めていると、仏教の国に生まれながら、そのお教えについてほとんど何も知らない我が身に驚きと恥ずかしさを覚えるのだった.これからの学校教育の中で世界の主だった宗教についてきちんと教えるべきではないろうか。人類が米国同時多発テロとアフガン問題を体験した現在、賛同してくれる人も少ないと思う。