2003年12月25日 伴久子

 シナモン、ナッツメグ、メイスのこのケーキの香りがしてくると、Simmonsの二人の顔が幻のように浮かんでくる。

 今から50年前、初めて外国へ出た時のことである。美喜子は4歳半、武澄は2歳半、幸衛はまだこの世にいない。夫は外交官の卵、私はほとんど英語を解せない27歳の若い妻。サンフランシスコでSimmons夫妻はそんな私たち家族を受け入れてくれたハウスオーナーであった。当時アメリカでは「東洋人お断り」という家主もいた時代である。

 ご主人は車のペインター。私たちは1階と2階に、彼らは地下を改造して住んでいた。終戦からまだ8年、アメリカ民主主義が絶好調の時である。見るもの聞くもの、その富に驚き、夫はいつも「こんな国と3年8か月もよくも戦ったものだ」と言っていた。

 2人は典型的なお人よしのアメリカ人で、子供たちをわが孫のように可愛がってくれた。子供たちが寝静まると私はよく編み物を習うという名目でベイスメントのSimmons宅を訪ね、英会話の練習をさせてもらった。 本当に良い人たちだった。このケーキはMrs. Simmonsに習った、大切な思い出のお菓子である。

 今日久しぶりに焼き、レシピを最終的に仕上げた。数日したら美喜子と武澄が帰ってくる。二人にとって懐かしい味覚に違いない。プルーンケーキを食べながら、グイグイとミルクを飲んでいた少年BAN Koe-・・・その人はもうこの世にいない。焼きたての暖かい一切れをお供えした。

 時は流れるー。ひょっとして今日のこのプルーンケーキ作りも一期一会にならぬとも限らない。そんな思いが、ふと心をよぎる。

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐のふかぬものかは

 最期の春、孫たちに向かって先生(孫たちは夫をそう呼んでいた)が残した親鸞聖人の一首である。


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祖父の時代からの我が家の桜(3月27日)