7日夜、月の観測結果を受け、サルタン会議の事務最高責任者が「ラマダーンは9日から」と宣言して、マレーシアのムスリムたちは一斉に1カ月の断食に入った。
 夕べのクラスで『枕草子』を取り上げた私は、校舎を出て空を見上げ、思わず「春はあけぼの・・・月はラマダーン・・・」とつぶやいた。美しかったが、おぼろ月だった。今年はまた新たな感慨、思いでラマダーンを過ごしている。

 インドネシアではワヒド新大統領になって、21年ぶりにラマダーン期間中、小中高校を休校にする教育方針が打ち出されたと聞く。

 またマレーシアでも、今回の総選挙で汎マレーシア・イスラーム党(PAS)がトレンガヌ州政府の主導権を握り、早くも様々な「イスラーム化」の方針が打ち出され始め、議論を呼んでいる。

 この地域でも、イスラーム回帰の風が吹き始めたのだろうか。改めて、「イスラーム」についていろいろ考えさせられる月である。

 今日は、今年1月『萬晩報』に寄稿した「マレーシアのラマダーンの1ヵ月」に対して寄せられた石川義雄さんの感想文を紹介したい。石川さんは青年海外協力隊OBで『アフリカの水』というエッセー集を書いておられる。(ホームページはhttp://www.join-am.ne.jp/~ishikawa/)

 「マレーシアのラマダーンの1カ月」は1999年1月12日のコラムをご参照いただきたい。また、皆さんのイスラームに関するお便りをお待ちしている。

『ムスリムにとってラマダーンの夜は神秘的で美しい。アッラーを畏敬せよ、自然との絆を忘れるな、生きる意味を深く考えよ、という空気に満ち満ちている。』
 ラマダーンについて、かつて日本語でこのような叙情あふれる文章が書かれたことが、あったであろうか。いや、そもそも、日本人として育って、このような感受性を持ってラマダーンをとらえることのできる能力を持った人が、何人いるだろうか。

 私自身、何度かラマダーンを経験している。はじめはアフリカの田舎町で2回。このときはキリスト教徒が半分くらいいたし、ムスレムでも戒律を守らない人も多くいた。それに比べると次に経験したモロッコではかなり厳格であった。日が沈んだあと、大勢の人が、夜遅くまで町を歩き、まるでお祭り騒ぎであったことが印象に残っている。シーア派のイランでも2回経験した。このときは、自分にはほとんど関係ないものと思ったのであろう、記憶に残っていることはあまりない。

 ベルリンの壁が崩壊したとき、私はムスレムの国で毎日毎日、暗い気持ちで暮らしていた。日本へ戻ってきて程なくソ連が崩壊したとき、私は、これからはムスレムと非ムスレムとの戦いになるな、と思った。冷戦後の社会は実際にはそのような単純な図式ではなくて、はるかに複雑な様相を呈している。

 しかし、妥協を許さず権謀術数を弄する中東のムスレムに対して、我々日本人は何らのプリンシプルも持たず、判断の基準として経済的な損得だけしかよりどころがないように思われることについては、今も昔も変わらず危機感さえ感じている。

 日本人の大部分の人たちが、まったくイスラムを知らない。海外と関係している人達のなかでも、ムスレムと関わる人の割合はそれほど多くはなかろう。そして、ごく少数のムスレムとつきあいのある人々の大部分が、金勘定だけで嫌々ながらムスレムとつきあっている。それが、これまでの私の経験から得られた、日本とイスラム社会に関する基本的な認識である。

『この時期、彼らは精神的に満たされ、イスラームであることの誇りを強く意識しているように思える。弱者への思いやりが芽生えるのもこの時である。「まわりの非イスラーム教徒が何をしていようと私は目もくれない。私はマイ・ウエイを行く。ムスリムとして生まれ、これからもイスラーム教徒としてしっかり生きていくのだ」-一人ひとりがそう主張しているかのようだ』

 断食をしているムスレムの人々に対して、私は一度もこのような見方をしたことはなかった。その様な感受性がなかったのであろう。あるいは、毎日の生活そのものが戦さであるようなムスレムの人々とのつきあいの中で、そのような心の余裕がなかったのであろうという気もする。

 いずれにしても、BANさんの文章からは異なった価値観を許容することのできるtolerantな視点を感じることができる。そして、それは今の時代のキーワードである「共生」のための大きなヒントであると思う。

 私の認識とBANさんの認識とがこのように違ってしまったのは、一体どうしてなのだろう。同じイスラムといっても、中東と東南アジアでは、歴史も環境も自然も違う。そこに住む日本人が経験することは、自ずから異なってくることであろう。

 私はBANさんの文章から、多くを教わり、私のような認識だけでは争いが争いを呼ぶ結果しかもたらさないかも知れない、と反省した。けれども、その一方で、私の経験してきたことも紛れもない事実であり、私のような視点でいくつかの出来事を見ることも、大切なのではないか、とも思う。何でもそうであるが、経験した人でなくては分かってもらえない、という諦めを私は持っている。

『イスラームの国々は暑いところが多い。まだまだ貧しい国もある。しかし彼らは「目に見えぬ」心の高貴さを大切にして生きている人々であることを忘れないでいたい』

 古くて新しいテーマ、経済的な貧富と精神的な満足感との相互関係について、新ためて一つのデータを与えられたように思う。

「目に見えぬ」心の高貴さを大切にして生きている人々

 私たちの祖父母の言動を思い出すとき、ついこの間まで多くの日本人もまた、そのような心根を持っていたのではなかったか、という気がする。果たして私たちは、今でもそれを持ち続けているか。そして日本の子供達に伝えて行くべき確固とした「何か」を自分自身持っているか、について考えてみようと思っている。