11月7日のヒンズー教のディパバリーが終わって、今度は12月9日からのラマダーン(断食月)だなぁ、としみじみマレーシアの暦を眺めていた矢先、11月10日の新聞一面トップの見出しが目にとまった。
 マハティール首相が突然、英連邦政府首脳会議出席のための南アフリカ行きを中止したという。今年何度も流れた「総選挙実施か」の憶測が今度こそは本物だと直感した。

 イスラームの国でラマダーン中やラマダーン明けに総選挙があるはずはない。その後ヒンズー教の大祭タイプーサムを挟んで、2月5日は中国正月である。今度は中国コミュニティーが1ヵ月近く正月気分で仕事にならない。

 これまでの総選挙はいつも任期満了を待たず実施されてきたので、今回も任期満了の4月末直前ということもないだろう。だから、今だ!素人ながらにそう考えたのである。

 予想通り、11日に連邦下院議会とサバ、サラワク州を除く西マレーシア11州の州議会が解散された。そして、翌12日、選挙管理委員会によって、告示が20日、投票日が29日(月)と発表された。

 この時期は学校の長期休み中でもある。投票のため帰省する親にとって、子連れで帰れるので好都合だ。マハティール首相は総選挙をこの時期に決めた理由の一つとして、ラマダーン中モスクやスラウ(礼拝所)が政治活動の場となることを避けたいことを上げ、また、選挙までの期間があまり長引くとデモや暴動など選挙妨害の心配も出てくるとも述べた。

 選挙戦は昨年9月、アンワル前副首相が突然解任された直後から始まっていたと言ってもよく、与野党の攻防は既にかなり過熱した様相を呈していたが、20日の告示日を過ぎると、町中お祭り騒ぎのように賑やかになった。と言っても日本のような騒々しい選挙カーの「連呼」は全くなく、視覚に訴えた「ポスター」、「旗」合戦である。

 マレーシアでは選挙戦を政党のシンボルマークで戦う。投票用紙にはシンボルマークだけが記されており、支持する政党のシンボルマークの横に×印をつけるからだ。私の行動範囲では、与党連合・国民戦線(BN)の「天秤」、汎マレーシア・イスラーム党(PAS)の「緑地に白い満月」、民主行動党(DAP)の「ロケット」、新党・国民正義党(Keadilan)の「(アンワル前副首相の)目のあざをイメージしたシンボル」などが目立った。

 これら政党のシンボルマークの小旗が何十枚も連なって、洗濯物のように飾られるのだ。昔、高倉健が主演した「幸福の黄色いハンカチ」という映画があったが、あのラストに近いシーンに出てくる竿に連なった黄色いハンカチを思い出していただければよい。ハイウェイを走っていると、パームオイルや椰子の木と競う合うように高々と掲げられた政党の旗もあり、まるで鯉のぼりのように気持ちよさそうだと思ったりした。

 ポスターの方は例えばBNの場合、マハティール首相の写真が多かったが、ソンコ(黒いイスラム帽)をかぶったものにはマレー語やジャウィ(アラビア文字)で、また背広姿のものには中国語で「国民戦線に一票を」と、言語だけでなく服装まで変えている「気遣い」?が、興味を引いた。

 代替戦線のポスターでは、首相候補としてアンワル前副首相の顔写真を大きく掲げ、その下にKeadilanのワン・アジザ夫人はじめ、PAS、DAPなど、連合4党首の小さい写真を配してあるものが目立った。

 マレーシアの政党はほとんど民族別に組織され、政治的関心も民族別に醸成されるのだが、投票の時は必ずしも支持する政党にストレートに一票を投じるわけではない。今回は野党が連合を組んだので、一層その傾向が強かった。

 マレーシアの総選挙は小選挙区制だが、全国193区のほとんどが与党、野党1名ずつの一騎打ちとなった。即ち選挙民は国民戦線か代替戦線かの二者択一を迫られたのだ。国民戦線の候補者が統一マレー国民組織(UMNO)の場合もあるし、マレーシア華人協会(MCA)等の場合もある。また代替戦線の方も候補者が、PASの場合もあるし、DAPの場合もある。

 マレー系であっても、中国系やインド系に票を入れたり、中国系であってもマレー系やインド系に入れたりすることになる。投票の時は「民族」を越えているわけだ。このしくみは、実は私にとって大きな発見だった。選挙結果を分析する場合、この投票方法をよく理解しておく必要があるのではないかと思う。

 29日の午後5時半に投票は滞りなく終了した。平穏な一日だったことに、国中が安堵した。8時すぎからテレビで開票速報が始まったが、解説者たちは開口一番、外国の力を借りたりすることなく、無事に選挙が実施できたことに感謝しようと呼びかけた。日本では当たり前のことでも、この地域では特記すべきことなのだろう。

   翌30日午前3時すぎ、投票が終わってわずか9時間で選挙の結果が判明した。国土の広さ、人口などの違いもあるが、お隣のインドネシアが一ヶ月以上かかったことなどに比べると、民主主義の基盤が成熟しつつある、と言ってもよいのではないだろうか。

 マハティール首相が短い記者会見を行い、国民戦線が3分の2議席を確保して勝利したこと、しかし州議会の方はクランタンとトレンガヌの2州で敗北したと発表した。これが、デモクラシーによる国民の選択であった。

 ともあれ、あの未曾有の経済危機と政治危機を乗り越えて、今世紀最後の総選挙を無事に実施できたことをマレーシア国民と共に喜びたい。

 それにしても11月30日付けの日本の有力紙(インターネット)に載った以下の文が気になる。

 「与党の圧倒的勢力がマレーシアの議会政治を更に形骸化させ、インドネシアなど近隣国で進む民主化の潮流からマレーシアが取り残される可能性を否定できない」

 この記事を書かれた記者は何をもって「民主化」と考えておられるのだろうか。ここマレーシアではデモクラシーによって、どのような「民意」が明らかになったか、今回の総選挙をゆっくりと時間をかけて振り返ってみたい。