「貴方がお嫁に行けなかったのは家にお雛様がなかったからかもしれないわね・・・。ごめんなさいね」母がぽつりとそんなことを言ったことがある。そうかもしれないと半分本気で思いながらも、私は笑って「そんなことはないと思うけど・・・」と呟いた。
「貴方も高知に落ち着いたことだし、遅ればせながら、お雛様を買いましょうか」

 十数年前に母と求めた真多呂作の立雛を、今年も立春の日に玄関に飾った。1年ぶりに眺めるお内裏様とお雛様の何と優しいお顔! 何と香しく、美しい日本の文化なのだろう! 精巧な技で心を込めて人形を作った職人さんたちの姿、お雛様を飾って娘の成長を祈る親御さんたちの気持ちに思いを馳せていると、どこからか馥郁たる梅の香気が漂ってくるようだ。
 
 女の子の健やかな成長と幸せを祈るこのチャーミングな早春のお祭りは日本以外にもあるのだろうか。

 女の幸せとは? 72年の人生を振り返って考える・・・。
 私は生まれ変わったら、愛する男性(ひと)に出会い、家庭を作りたいと思う。そのことが叶わなかった私は、やはり人間としての経験が一部欠落しているのではないか。充実したキャリア人生に恵まれたと振り返りながらも、祖母や母たちの女性像に憧れてしまう私である。しかし、今更「ないものねだり」をしても仕方がない。これが私の運命だったのだから!

 いけない、いけない! 今日は偽らざる心境を吐露してしまいました・・・。

 皆様、3月3日の雛祭りを大切にお過ごしくださいませ。

 

 最晩年、母が求めたもう一つのお雛様。寂しくて衝動買いをしてしまったという。母は娘が四六時中側にいてケアしてくれることを期待していたが、その頃私にはまだ仕事があり、母にすべてを捧げることはできなかった。
「娘が恋しくて仕方のなかった甘えん坊のおかあさん、寂しい思いをさせてごめんなさいね」