年末に楽しみにしていることがある。Co-opのスーパー前に露店が出て、お正月の注連飾りなどが並ぶのであるが、横で山北みかんの県外発送も大々的に行っている。山北は高知を代表するみかんの産地である。小粒のものが美味しい。甘く、酸味もあり、小さいので、3,4口位で食べられる。

 このみかんを県外の親戚や友人に送るのが楽しみだ。予算もあるし、春になって文旦や小夏をお送りする方もあるので、今年はみかんをどなたに送ろうかとリストを作る。その方を想い、懐かしくなって久しぶりにお電話をかけることもある。

 マレーシアでは春節(旧正月)にみかんを上げたり、もらったりしていた。みかんは正月を盛り上げる大切な「小道具」だった。20年前に書いたみかんのお話を再掲する。

熱帯のフルーツたち(3)(Mikiko Talks on Malaysiaより)

 2000年3月2日

◇      ◇        ◇   (前略)

*リマウまたは柑、桔 ―「金」への連想

 柑橘類を「limau」という。「jus limau」と言えばライム・ジュースだし、ナシゴレン(焼き飯)やミーゴレン(焼きそば)にはよく「かぼす」に似たリマウが添えてある。「limau manis」はみかん、「limau besar」はザボン、「limau mandarin」はポン柑に似た、中国正月に出回るみかんのことである。中国や台湾からの輸入品である。因みに同じ輸入品でもオレンジはリマウではなく、マレーシアでも「oren」である。

 今年の中国正月はこの中国みかんをたくさんもらった。2つとか6つとか、偶数の数で何人からも手渡しでもらった。決まって、「恭喜発財!」(新年おめでとう!)の言葉とともに。

 みかんはその色から「金」を連想させ、また「柑」や「桔」は発音や書き方が「金」や「吉」に似ているので、めでたい果物として、正月には欠かせないのである。1998年は経済危機で60万箱に落ちた輸入量が、1999年には100万箱に増えていた。今年はその数が更に伸びたに違いない。

 さて、マレーシアの中国正月の様子を在日中国人の友人に知らせたら、大晦日にこんなメールが届いた。

 「マレーシアの華人の春節の祝い方も大陸と全く同じですね。私も子どもの時は、春節などの目出度い日はみかんを食べていました。東北の寒いところで、流通が盛んでなかった時は、みかんが貴重品でした。中秋月の日、お月様に供えた後のみかんを母から一個しか貰えなかったことを今も鮮明に覚えています」

 この便りを読んだ時、突然、昔読んだ芥川龍之介の短編、『蜜柑』の鮮やかな1シーンが目の前に浮かんだ。 

 (汽車がトンネルを抜けたかと思うと、踏切の柵の向こうで、3人の子供たちが、必死で声をあげ、手を振っていた)

 「するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢い良く左右に振ったと思うと、たちまち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑がおよそ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降ってきた。私は思わず息をのんだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、おそらくはこれからの奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切まで見送りにきた弟たちの労に報いたのである」

 貧しかった時代、どこの国でも蜜柑は黄金のように輝いていたのだ。そんな人類共通の「貧しくとも美しい」体験を新しい世代に伝えていくこともまた「文化」と言えるのかもしれない。