自然も人間も煌めく

 高知で暮らすようになって、半年が過ぎた。帰ったばかりの頃は、はりまや橋のバス停まで、ちんちん電車で通っていたが、そのうち元気になった母が、毎朝車で送ってくれるようになった。8月のある日、突然母が「明日から貴方を送って行ってあげる!」と決意表明をした。

 実は我が家には亡き弟が海外赴任する時に置いていった古いホンダが半年以上眠っていた。紀念(かたみ)のようにその車を慈しんでいた78歳の母は、再びハンドルを握るようになると、めきめき元気になっていった。

「幸衛ちゃんが元気をくれたのかしら」

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 母と私はよく、おしゃべりをする。父や弟夫妻の陰膳をしながら、「何だかこの世よりもあの世の人口の方が多くなってしまったみたいね」と二人で笑うこともある。

 気がつくと、亡き人のことを話題にしていることも多い。

「伴のおじいちゃんは、きちんとした方でしたね。姿勢もよかったし、月に何度かしゃんとして出かけられた姿を思い出すわ」 (娘)

「伴のおばあちゃんがよく言っておられましたね。『久子さん、人は顔が違うばあ、性格も違うぞね』――あれは名言ですよ」 (母)

「片岡のおじいちゃんは、アイディアマンだったのね。高知市立中央公民館の初代館長だった時、『夏季講座』や『花いっぱい運動』を始められたってホント?」(娘)

「片岡のおばあちゃんは、夫のためには労を厭わない人でした。おじいちゃんが『鯛茶漬けを食べたい』と甘えれば、横殴りの北風の中を城山から新月橋を渡って五丁目まで鯛を買いに行っていたわ。ー貴方が帰ってきて一番嬉しいことは、こうして亡き人達のことを一緒に想うこと。いいご供養になっていると思いますよ」(母)

 娘は思った。高知に戻ってきた感覚はよく耕された柔らかい大地に素足で立った感触。大地とは父や母、そして祖父母が耕してきた「縁」という名の遺産。
  
 我が家の台所の棚には『伝えたい 土佐の100人 その言葉』(高知新聞社刊)という本が立てかけてある。母はよく、話の途中でその本を取って、〇〇頁を見ておきなさい」と付箋をしてくれる。郷土の偉人のことも、もっと知りたいと思う。

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 12月に入ったある朝、母が遠回りをして車の中から高知城麓の銀杏(いちょう)を見せてくれた。

「今年の紅葉は何故か殊の外、美しいと思うわ。佳子さんの身代わりかしら」
「私も幸衛ちゃんが亡くなった年、マレーシアで同じことを強く意識したわ。私の本にそのことを書きました」

『マレーシア凛凛』より

 日本から紅葉便りが届いて、「日本の秋」を想った。今年は燃え盛る紅葉の「赤」がしきりと思い出されるのはなぜだろうか。

 桜の花吹雪には「潔さ」が感じられるが、散る寸前の木の葉の美しさには「生」を終える前の「命」の激しさ、懸命さ、切なさが感じられる。

 日本の秋の美しさにはそのような、命あるものがエネルギーを振り絞ったときの「気迫」と「輝き」がある。

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 定めある生命は、この世に色々な形で煌く「いのち」を託しながら、「永遠」に生きていく。自然も人間も、それをずっと、ずっと繰り返してきた。

「いのちの旅」を終わらせてはならない!

 2006年を迎える、56歳の一人の女は厳冬の大空に向かって叫んだ。

 空には「千の風」が吹きわたっていた。

                             =おわり




最晩年、病と闘いながら、「おまんらあも、しっかりやりよ」と檄を飛ばす亡き父、伴正一。末孫正薫が持っているのは祖父が生涯大切にした竹刀