美しい別れの朝

 広々とした丘を見下ろす幸衛の家のリビングルームのテーブルの上には紫色の風呂敷が敷いてあり、その上に幸衛の写真数葉と彼が好きだったウィスキーが置かれてあった。神道の我が家に「線香」と「数珠」も届けられていた。

 支店長夫人から届けられた手作りの弁当を食べながら、会社の方々との打ち合わせが始まった。武澄が親代わりとなって、佳子さんをサポートしながら一つ一つ話を決めていったが、会社の方々も総がかりで、誠心誠意対応に当たって下さった。

 その夜8時過ぎ、幸衛はオークの大きな棺に入って無言の帰宅をした。神職も僧職もいない地で、武澄が弟の霊前に別れの言葉をかけると、妻佳子さん、息子友衛君もそれに続いた。

 10歳の友衛君は「パパ、今まで有難う。色々なことを教えてくれて有難う。三人で旅行に行ったときは楽しかったね。ママと二人で何とか頑張るから、パパも天国で一杯友達をつくってね。ちゃんとママと僕を見守って下さい」と立派に挨拶をし、皆の涙を誘った。

 会社の仲間も思い思いに幸衛に語りかけてくれた。小さい頃のイメージが強く、最近の弟をよく知らなかった私にとって、それは目の前で弟の自画像が描かれていくのを見るような思いだった。

「通夜」というのは元々神道の習わしで、夜を通して霊との別れを惜しむ意味があるそうだ。その夜の通夜は形式には外れていたかもしれないが、本来の目的にはかなったものだった。

 翌日会社のメンバー全員が家族連れで幸衛に別れを告げに来てくれた。皆、「日本を遠く離れた異国の地での夫、父親の不慮の事故による死は人ごととは思えない」というような悲痛な面持ちで線香を上げて下さった。 

 事故があった時、助手席に座っていた白人系南ア人の上司も弔問に来て下さった。手に持った花籠には白い花に混じって真っ赤な薔薇があしらってあった。

 見慣れぬ日本人の風景に少し戸惑った様子だったので、近づいて声をかけた。
「お国ではこのような習慣はないのでしょうね。日本人は、遺体にまだ魂が宿っているような気がして、こうして心ゆくばかり別れを惜しみ、故人を偲ぶのです・・・」 

その方は「・・It’s a beautiful culture!」と心から感動した様子だった。

 マレーシアのイスラーム教徒が「人は死んだ瞬間アッラーに召されるのだから、遺体はなるべく早く埋葬して魂が迷わぬようにしなければいけない」と言っていたのを思い出した。

 もし、我が家がイスラーム教徒であれば、幸衛はすぐにでもこの地に埋葬されたであろうと思うと辛かった。荼毘に付して遺骨を連れて帰れる幸せを思った。

 幸衛は自宅で三晩、家族と共に過ごし、12日の朝、葬儀場に運ばれて行った。雲一つない真っ青な空で、天穹という言葉がぴったりの美しい別れの朝だった。

 カトリックの神父によるミサで美しい賛美歌の独唱を聞いた時、私は「幸衛は天に昇った」と信じることができた。キリスト教で送られることの抵抗感はなかった。

 寧ろこのようにあらゆる宗教で見送られる幸衛は「国際人」だとさえ思った。ヨハネスブルクに向かう飛行機の中で、心を静めるために覚えていたクルアーンの一説を繰り返し唱えていたことも思い出された。

 私は、この自分の中に無意識に潜んでいた汎神論的な感覚、宗教的な大らかさに我ながら驚いた。そして、遠藤周作の「深い河」を思い出すのだった。 (つづく)




告別式に来てくれたクラスメート達に囲まれた友衛君(右、後姿)