あゝ、うるわしの日本

 私は今、郷里の高知にいる。居間の簾越しに名残の桜がひらひらと散ってゆき、新緑が萌え始めて春の息吹を感じさせる。突然踊り出てくる白いモンシロチョウにも心が動く、明るい日本の春だ。

 家のまわりの草取りを終えた母が、名も知らない白や黄色の草花を湯のみに差して、「はい、あなたにあげます!」と差し出した。洗濯物をかかえ、下駄をつっかけて裏庭に出ると、一面蕗が茂り、「十二単」という名の紫色の花がドクダミの陰で可憐に咲いていた。何とやさしい日本の春の風景なのだろう。

 「今年の春は、どうしても桜を見たい。あの潔く散る姿を見たい!」

日本の春が近づくにつれ、マレーシアにあっても、そんな思いがつのって抑え難かった。その思いはどこかで半年前のあの悲しい出来事とつながっていた。私は弟の死というものをもう一度、桜と共に日本のやさしい自然の中で抱きしめたいと考えていたのかもしれない。

 4月6日に帰国した私は東京に一週間滞在し、九段界隈の落花の雪の美しさを見届けて、京都・奈良経由で、久しぶりに汽車を乗り継いで帰郷した。

 京都・賀茂川べりの桜は東京の桜に比べ、枝振りがのびやかで、レンギョウの黄や雪柳の白と和して、見事だった。いにしえの京の都に想いを馳せた。その後、奈良に向かい、神武天皇を祭った橿原神宮に寄り、飛鳥に辿り着いたのはもう夕暮れ近かった。

  聖徳太子創建の橘寺の正門はもう閉まっていたが、門前の桜の木を見上げると、弟がアフリカで天に上った日と同じような蒼天が広がり、半透明の上弦の月が掛っていた。

 高松塚古墳や天武・持統天皇陵などをまわって、日没は石舞台古墳を見下ろす丘の上で眺めた。満開の桜、ひんやりした静かな空気、鶯の鳴き声、空までが淡い桜色に染まり、さながら東山魁夷の絵のような美しさだった。西方浄土に向かって手を合わせると、哀しみの泉から一筋の涙がこぼれ、静かに頬を伝って流れた。

「春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげに鶯鳴くも」

母が手帳を開いて、大伴家持の歌を教えてくれた。

 今回の小旅行は「外国で日本語や日本文学を教えていて『大和』という言葉を再発見した」と、熱っぽく報告した娘に、この機会に大和の地を踏ませてやりたいという母心が動いて実現したものだった。

 翌日は神戸で母方の祖父母の墓参りもした。

 僅か2日間に数え切れないほど乗換えをして、日本列島を南下した旅だったが、どこもかも桜が満開で、「自然のやさしい恵みを受けた麗しの日本」を今年ほど強く実感したことはなかった。

 「茶髪」ショック

 ところが、今回の日本滞在中、その印象とは正反対の大きなショックを受けたことも告白しなければならない。

 日本列島が「茶髪」や「金髪」で溢れていることの衝撃である。彼らは日本人であることを捨てたのだろうか!中には、ただ髪を茶色や金色に染めているだけでなく、髪型そのものが奇怪で、まるでマントヒヒのような人たちもいる。彼らは人間であることを放棄したのだろうか!

 いつの時代にも奇抜な格好をする者はいる。しかし、それは芸能人とか、芸術家とか、変わり者とか、あくまでも一握りの人たちであった。ところが、今回は「少数」でないところに、問題があるように思う。

 外見だけで人を判断してはいけないと自戒しつつも、民族衣装やイスラームのベールを着用することで民族のアイデンティティーをはっきり打ちだし、矜持を持って生きている人々の間で暮らしている私には、この現象が「日本人喪失」に見えてならない。

 東京・原宿をタクシーで通った時は、あまりに茶髪が多く、ミュージカル「Cats」の出演者たちが集団で移動しているのだろうか、と錯覚するほどだった。

 関西のローカル線のプラット・ホームでは、茶髪の女子学生4、5人が学生服のまま、冷たいコンクリートの上で、車座になって胡座をかき、その澄んでいる筈の目を、濃いアイシャドウーで汚し、まだ初々しい紅き唇をメタリック色に塗りつぶしていた。

 旅の途中、私は何度も「茶髪」や若者の格好を話題にした。(私はまだどれが「ガングロ」だかわからない)「日本はどうして、こんなに茶髪が多くなってしまったの!?」を連発する私に、母は

「そう言われてみれば、そうね。まあ、あれも一つの流行だから・・・。数年したらなくなるんじゃないかしらね。若い人たちはエネルギーが有り余っているのよ。はけ口がないのよ。・・・でも、彼らは外見ほどイカレてはいないそうよ」と意外に寛大である。

「あれは『西洋崇拝』と関係があるのかしら」
「やっぱり、あるんじゃない? 大人たちも髪を染めているから、子供たちに何も言えないのじゃないかしら」

 そう言えば、よくよく見ると、大人たちの間でも、ヘア・ダイをしている人が多い。それは、一つの美意識であって、少し色をかけた方が美しいと思っている人たちを批判するつもりはない。ファッションは個人の自由だし、事実、よく似合って若々しく見える中年婦人もいるのだから。だが、日本人の美意識は次第次第に変りつつある(西洋的になりつつある)ということは言えそうだ。

 それにしても、この日本列島総茶髪化は、異国にあって、祖国を想う者にとって、大変気になる、うら悲しい情景である。

 日本人はもう「日本人」ではなくなりつつあるのだろうか。

 「しきしまの大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」(本居宣長)の歌を思い出し、私の心配が杞憂であることを祈らずにはいられない。