今ごろ、ベイ先生はメッカだろうか。あの誰もが白い服装の、気の遠くなるような大勢の巡礼参加者のなかにベイ先生も混じっておられるのだろうか。
 ハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)の今日、メッカからの中継を見ながら、そんなことを考えながら過ごした。

 アリフィン・ベイ氏はインドネシアの著名な知日家。戦争中、南方特別留学生として来日したのが日本との関わりの始まりで、その後、外交官、ジャーナリスト、筑波大学及び神田外語大学教授として通算30年近く日本に滞在された。日本で出版された著作に「インドネシアのこころ」「近代化とイスラーム」「魂を失ったニッポン」などがある。

 マレーシアのルックイースト政策に興味を持たれた先生は1994年に研究のために来馬されたのだが、1995年からは開設して間もないマラヤ大学文学部の日本研究プログラムで日本思想史などを教えられ、日本研究振興に尽力された。日本研究者の少ないマレーシアでは貴重な存在だった。

 しかし、最後は日本でも、マレーシアでもなく、祖国を安住の地として選ばれ、1998年暮れ、73歳で混迷するインドネシアへと帰って行かれた。クアラルンプール国際空港で先生とお嬢さんを見送った時の私の心境は複雑だった。

 お世話になりながら、最近はすっかり御無沙汰しているだが、今年初め、風の便りに先生がメッカ巡礼を計画しておられることを知った。それを聞いた時、やはりベイ先生は最終的にはアッラーのもとへ帰って行かれたのだという深い思いに包まれた。(地球上のどこにいても、ムスレムとして生きてこられた先生にはこの表現は不適切かもしれないが)

 さて、今日はハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)である。ハリラヤ・アドハー(犠牲祭)とも言う。ハリラヤ・プアサ(断食明け大祭)とならんでイスラームの2大祭りのひとつで、メッカ巡礼を果たした人々を祝福する日である。今年、メッカには約200万人のムスレムが集まったという。サウジアラビア政府が国によって人数制限(割り当て)をしており、人に聞いた話ではマレーシアの割り当ては2万5千人だとか。

 マレーシアでは断食明け大祭の方がはるかに盛大だが、国によってはこの犠牲祭の方を大切にしているところもあるようだ。

 メッカ巡礼(ハジ)はイスラーム信者の5つの義務のひとつで、経済的、健康上の条件が許せば、一生に一度果たさなければならない「行」である。「義務」であると同時に、それはムスレムにとっての自発的な「願い」、貧しい人にとっては「夢」、晩年を迎えた人には「人生の仕上げ」といった意味合いがあるように思う。

 その心境は日本人が「四国八十八ヵ所巡り」を思い立つのと似ているかもしれないが(昔は、「お伊勢参り」などもあった)、のどかな四国路をゆく「お遍路さん」とは違って、酷暑のメッカ巡礼は肉体的にもかなり厳しいものようだ。高齢者が多いせいか、死者や病人も出るそうである。

 昨年は経済・政治危機の中にあって、マハティール首相もメッカ巡礼を行ったが、帰国後体調を崩し、十日ほど入院。いろいろな憶測を呼ぶという事件もあった。

 巡礼大祭には、牛、羊などの家畜を生け贄にする。そして、その肉を貧しい人々とも分け合って食べる。サウジアラビアではこの時期、一日20万頭以上の家畜が殺され、そのために屠殺場では1万人の労働者が配置されたと、ロイター電は伝えていた。マレーシアでも、この生け贄は各所で行われ、そのちょっと残酷な様子が繰り返しテレビで流されていた。

 この生け贄はカアバ聖殿を建てたと言われる預言者イブラヒムと息子イスマイルの故事に因んだものである。その昔、神がイブラヒムに最愛の息子を生け贄にするよう命じた。苦悩の末、イブラヒムは神のお告げに従う決心をし、息子もまた、身を神に捧げることに同意した。イブラヒムがいましも息子を殺そうとした時、この親子のゆるぎない信仰心を確認したアッラーが、救いの手をさしのべた。イスマイルは助かり、代わりに子羊が生け贄にされたという。 巡礼大祭は「犠牲」の尊さを思い出す日でもある。

 このイスラーム暦12月に行われる大巡礼(ハジ)の他、随時に行う小巡礼(ウムラ)もある。以前にウムラに行った知人から棗とザムザムというメッカの水をお土産にもらったことがある。水は不思議な味がした。

 人生の節目、節目で、何度もメッカへ行く人もいるし、最近では経済的に豊かになった若者の間でも「メッカへ行きたい!」と希望する者が増えているそうだ。

 日本で国際空港と言えば、ブリーフケースを持ったスマートはビジネスマンやラフな格好をした観光客を思い浮かべるかもしれないが、マレーシアの空港では、白装束を着けた巡礼者の姿も珍しくない。

 いかにも東南アジアらしい熱気に包まれていたスバン旧国際空港が巡礼者を見送ったり、迎えたりする人々で身動きできないほど、ごった返していた光景も懐かしいし、モダンな新空港ではジッダ行きの搭乗口の前で、新聞紙を敷いて座り込み、飲み食いをしている乗り継ぎの巡礼者一行を見かけ、「アンバランスだなぁ」と苦笑したこともある。1998年に開港した新空港に試運転で最初に乗り入れたのはジッダから巡礼者を載せた便だったことも印象深い。

 来週あたり、クアラルンプール国際空港は、メッカ帰りのハジ(大巡礼を終えた男性)やハジャ(女性)で賑わうことだろう。そして、そのほとんどが出迎えの家族に「辛かったけど、素晴らしかった。また、行きたい!」と言うに違いない。

参考: イスラームを親しみを込めて、わかりやすく紹介した本として、片倉もとこ著「イスラームの日常生活」(岩波新書、1991年)を推薦します。