霜降


 

 
 10月16日、谷村新司が亡くなったとの訃報に接し、驚きを禁じ得なかった。半年余りの闘病の末、74歳の「若さ」で旅立ったという。何と惜しいことだろう。

 思い出が脳裏を駆け巡った。

 1999年に弟幸衛が42歳でアフリカで急逝したとき、両親の知人が谷村新司の『昴』のCDを送ってくれた。母はその曲を何度も、何度も聞きながら涙し、慰められていた。『昴』は我が家でいつしか幸衛のレクイエムとなった。

 2013年に高知工科大学を辞し、東京の大妻女子大学に赴任した春、大学近くの国立劇場(今年10月末に閉場)で「The Singer」と銘打って、谷村新司のソロ・リサイタルが開催された。皇居のお堀に面した、この日本の伝統芸能の殿堂でポップスのアーティストが出演するのは初めてとのことで、私は驚き、「まるで私の新しい門出を祝ってくれているみたい!」と心を踊らせて早速チケットを入手した。

 公演日はちょうど桜が満開の季節で、仕事を終えた後、急ぎ足で桜吹雪の中を劇場に向かった。その夜は劇場の外の夜桜を目に浮かべながら、『いい日旅立ち』、『サクラサク』、『サライ』など、谷村新司の音楽とサクラの世界に酔いしれた。「The Singer」の企画はその後も続き、私は翌年も、翌々年も、楽しみに足を運んだ。谷村新司のチャーミングなステージは今も瞼に残っている。

 もうひとつ、もっと深い思い出がある。実は私が勤務した高知工科大学の学生歌『Flying Fish』は何と谷村新司が作詞・作曲したのだった! 当時同大学の約50人の留学生の大半が中国からだった。谷村新司は中国でも人気があって、彼が上海音楽学院の教授を務めたことなども話題になったりした。そんな背景もあって、留学生たちはこの学生歌が大好きで、また誇りにも思っていた。

 2007年3月に長江の三峡ダムで社会マネジメント学会及び高知工科大学共催の国際シンポジウムが開催された。閉会式のアトラクションでこの学生歌『Flying Fish』を歌おうということになり、博士課程在学の劉培謙さんに中国語版を作ってもらった。日本語と中国語を織り交ぜた素敵な曲が出来上がり、日本人学生と中国人学生が一緒になって猛練習して、みな気持ち良さそうに歌えるようになった。本番で大喝采を浴びたことは言うまでもない。

 中国語版の『Flying Fish』はその後も高知工科大学同窓会中国支部の集まりなどでも歌い継がれた。長江での大合唱の話を谷村さんは聞いておられただろうか。

 谷村新司さんを追悼して、日本語版と中国語版の歌詞を添付します。
谷村さん、ありがとう! 謝謝、谷村老師!


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