『マレーシア凛凛』の書評/紹介文
20年前に『Mikiko Talks on Malaysia』から生まれた『マレーシア凛凛』―その書評/紹介文を改めて読み返し、著者の意図や思いに深い理解を示していただいたことに感謝の念を新たにしている。以下、いくつかご紹介する。
自著紹介
『歴史と未来』第26号 東京外国語大学中嶋ゼミの会 2003年3月
1975年、私は中嶋嶺雄ゼミで『複合民族国家の苦悩と試練―マレーシアの5.13事件をめぐって』と題する論文を提出して外語大を卒業した。
それから15年以上も経って、もうそのことをすっかり忘れてしまった頃、突然マレーシアに駐在することになった。国際交流基金クアラルンプール日本文化センター副所長として充実した4年半を過ごし、1996年に帰国。しかし、マレーシアへの思いは断ち難く、退職して再びクアラルンプールに戻る。40代後半にして異国でのゼロからの再出発だった。間もなく、マレーシア国民大学で日本語講師の職を得、傍らホームページに日々の体験を綴って連載するようになった。
本書はそれらのエッセイのうち70編を選んで、(1)民族それぞれの暦の中で (2)多民族社会の風景 (3)マレーシアという国 (4)南国の自然・風物( 5)マレーシアと日本 (6)文化交流の現場から、の6章にまとめたものである。
1957年に英国より独立し、民族や文化の違いを乗り越えて目覚ましい成長を遂げてきたマレーシアという若い国、イスラームをはじめとする民族それぞれの宗教に誇りを持って生きる人々。そしてその複雑で多様な集団を一つの旗の下にまとめて、内にあっては発展へのエネルギ―を生み出し、外にあっては厳しいグローバル化時代の中で小国の自己主張を貫いてきた指導者マハティール首相。そんなイメージをすべてひっくるめて、思いを「凛」という文字に託した。
閉塞感のある日本社会に、平和な多民族国家マレーシアから心地よい風(アンギン)を届けたいという思いで、3年間キーボードを叩き続けたが、本書が日本を、西洋のみならず他のアジア文明の中で見直すキッカケを提供できれば、こんな嬉しいことはない。
昨年5月、マレーシアでの10年間の生活に終止符を打って帰国した。今、再び中嶋先生のご指導の下、(財)大学セミナーハウスで仕事をしている。「中嶋先生」と「マレーシア」、私の運命を左右した強力な磁石(マグネット)である。豊かな体験へといざなって下さった先生との深いご縁に心から感謝している。
書評
山本博之/東京大学 (日本マレーシア研究会会報№.25 2003年2月)
本書は、1991年から約10年間、著者の伴さんがクアラルンプールで暮らした中で体験したことや考えたことをまとめたものである。職場や暮らしの話も出てくるが、異国マレーシアの生活臭漂う奮闘記の類とはまるで違っている。伴さんが出会ったもの一つ一つを題材に、マレーシアの魅力を爽やかに謳い上げた作品となっている。
本書の魅力はいろいろあるが、際立っているのが伴さんの観察眼の鋭さだ。例えば、多民族社会マレーシアを紹介するため、はじめに各民族・各宗教のお祭りを紹介している。ここまでは誰でも考えつきそうなことかもしれない。ところが注意深く読んでみると、どの民族の話にも多民族性がさりげなく顔を出していることに気づく。インド人の結婚式に行くと中国系やマレー系がいる。中秋節ではハラールの月餅が出回っている。しかも学部長は中国系ムスリムだし、マレー系ムスリムの学生が実はサバ出身のカダザン人だったりする。
では、そんな伴さんが本書で教えてくれるマレーシアの魅力とはいったい何なのか。伴さんは、それを同僚のエドワードさんの言葉を借りて伝えている。マレーシアのどんなところに誇りを感じているかという質問に、エドワードさんは「Visionがあるということ」と答える。伴さんが「Vision 2020」のことかと問い返すと、答えは「みんながそれぞれにVisionを持っている。これが一番誇れること」だった。確かにそうだ。みんながVisionを持っている。しかも、それぞれのVisionを持っている。これがマレーシアの誇りだし、マレーシアの魅力でもある。
エドワードさんは最後にもう一度登場する。マレーシアを去るにあたってエドワードさんと再会した伴さんは、本書で紹介する「Sejahtera Malaysia」をどう訳せばいいかエドワードさんに相談する。「Sejahtera 」を「平和」と訳すのではどうも不十分だ。そう言う伴さんにエドワードさんは「それはね、Sacrificeだよ」と答える。異なる民族がともに暮らしていく上では、自己犠牲の精神が必要だということだろう。辞書には載っていなくても、その方が現実的で正しい訳のように思えてくる。
エドワードさんは何者なのだろうか。こんな理想的なマレーシア人であるエドワードさんは、実は伴さんの「分身」なのかもしれないと思う。伴さんの中にはマレーシア人以上にマレーシアの魅力を知り尽くしている伴さんの「分身」がいる。それが時にエドワードさんとなり、伴さんにマレーシアの魅力を語る。伴さんは聞き役になることでマレーシアの魅力を引き出し、それを描いていく。そうして生まれたのが本書であるような気がしてならない。
内容をほとんど紹介しないまま紙幅が尽きてしまった。紹介できなかった部分はぜひ実際に読んでいただきたいと言うほかないが、マレーシアの魅力を再確認したい人にも、自分が関わっているマレーシアがどんなところか周りの人に知ってもらいたい人にも、本書はきっと満足を与えるはずである。
ムラウチドットコム 村内伸弘の社長日記 2011年2月
世界有数の親日国であるマレーシアについて、あふれる思いを書き綴っている本を読むことができて、僕はとても明るい気持ちになりました。
やっぱりその国のことが好きな人の文章というのは読んでいて、心地がよいです。読むコラム、読むコラムがすべて、マレーシアを愛する心から書かれていることがこの本を読んですぐにわかりました。“愛する”というよりも“慈しむ(いつくしむ)”という表現の方があたっているかもしれません。
マレーシアとか、マレーシア人に対するというよりも、人間に対する“’慈しみ”や”やさしさ”が行間からにじみ出ている素晴らしい本でした。
伴さん、テレマカシ(ありがとう)!
文彬 中国情報局 中国コラム 2002年5月9日
「マレーシア華人の愛国心」「マレーシアでなお息づく中国農暦新年」など、中国コラムの読者にマレーシアの華人世界を紹介下さったのは、マレーシア国民大学講師の伴美喜子先生です。伴先生は1991年より国際交流基金の駐在員としてクアラルンプールに赴かれ、以来10年余りに亘ってこの地に滞在されてきました。その間に国際交流基金を退職し、マレーシアで教鞭をとっていらっしゃいましたが、多忙な教育・研究生活の合間をぬってマレーシアという国の風景を描きながら、人間社会や文化を独自の視点で観察されました。その優しく高雅な文章は、私たちの乾いた心を潤してくださいました。
『マレーシア凛凛』はマレーシア滞在中に書かれた文章70編を収めたエッセイ集です。伴先生への感謝の気持ちをこめて、中国コラムの読者にお薦めします。
セブンアンドワイ 月の輪熊堂店長 2004年9月
国際交流基金、マレーシア国民大学での教鞭、の2回8年半にわたりマレーシアに在住された伴美喜子さんの珠玉のエッセイ。品格に満ちた、クオリティーの高い素晴らしい本です。多民族、多宗教国家であるマレーシアの持つ多様性と懐の大きさを理解する上でも、きっとこの本は助けになるでしょう。伴さんの芯のある、凛とした姿勢からの鋭い洞察力には感動しました。是非、皆さんに読んでいただきたい本だと、心を込めて推薦させていただきます。
Books 国際協力(JICA) 2002年9月
著者は赴任先のマレーシアが大好きになり、帰国後仕事を辞め、日本語教師としてマレーシアに戻ったという経歴の人。ホームページでマレーシアの人々の日常を紹介していたが、読者からの要望もあってでき上がったのが、本書だ。
「多民族マレーシア」とはいうが、その多民族ぶりは暮らしてみなければ分からない。マレー系、中国系、インド系の人々がどういうふうに自分たちのアイデンティティーを守っているのか。異なる伝統文化を背景に持つ人々が、どのように調和を保っているのか。著者が日々の生活の中で出会った人、出来事を通して、多民族・多文化社会の有り様が見えてくる。その豊かさを堪能できた著者がとても羨ましい。
本の紹介 クロスロード(青年海外協力隊) 2003年2月
著者は故伴正一協力隊事務局長の長女として、伴氏の5つのモットーを実践してきた。マレーシアで10年間日本語を教えるかたわら、ホームページで様々な角度から見たマレーシア社会の魅力をエッセイの形で紹介してきた。本書はこれをまとめたもの。テーマごとに分離されているのでマレーシア入門書としても利用できる。
新刊選 高知新聞 2002年6月
日本を見つめる鏡として、在マレーシア十年の筆者が描くエッセイ集。若いアジアの国が宿命として背負う多民族社会の風景を「暦が持つリズム」「マルチ言語」といった独特の切り口で読み解く。
昨年9月の米中枢同時テロ以降、「文明の衝突」的世界観が広がる中で、マレーシアはムスリムと華人、インド人がそれぞれの文化を調和させながら、グローバリズムにも対応して平和と成長を維持してきた。そんな生き方に「凛」という漢字をあてはめた著者の思いが共感を呼ぶ。