20年近く前、マレーシアから帰って間もない頃、21世紀フォーラム(政策科学研究所発行)第86号に「暦くらべ ―マレーシアから帰って」と題する文章を寄稿した。内容はMikiko Talks on Malaysia のダイジェストのようなものであるが、忘れられないのは、担当の小浜政子さんからいただいた依頼状である。丁寧、且つ私の気持ちを深く汲み取ってくださっていて、私が言いたかったことを代弁してくれているようである。

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 伴様の『マレーシア凛凛』を求めて拝見しました。外国での仕事、生活を扱ったいわゆる“海外もの”のエッセイは多々ありますが、このご本の中に流れている底流は伴様のマレーシアへの愛情であるとともに、かつて日本も持っており今は残念ながら失われてしまったものを、もう一度マレーシアというフィルタ―を通すことによって回復してほしいという、切なる願いでもあるように感じられました。

 感銘を受けた個所は多々ありますけれども、どのシーンにも、さまざまな民族が互いの伝統を尊重しながら独自の文化を守っていくやり方、また、とりわけ感銘を受けたのは、拠り所となる宗教・文化は違いながらも、共通している「祈り」のある生活、宗教暦年に彩られた精神的なリズムのある生活ぶりです。私はこれを非常に羨ましいと思いましたし、日本がかつての祝日を改編し、国民性や歴史性の感じられない無味乾燥な祝日を採用したころから、「この国はどこかおかしくなったのかもしれない」とされているご指摘はまさに然りと思います。歴史や民族の伝統に則った祭や月の運行に従って自然との共生の内に祭が執り行われている国に暮らしているマレーシアの人々は何と幸福なことでしょう。

 例えば、「イスラームの時間には色がある」という表現ですが、誠に印象深い記述で、伴様がマレーシアに魅せられたお気持ちが本当によくわかります。人間の幸福というものはこういった素朴な営みの繰り返しにあるのではないでしょうか。

 あれこれ書いてしまいましたが、こうしたマレーシアのあり方が日本人にとって示唆するものという大枠のテーマで、エッセイのご執筆をお願いできませんでしょうか。

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暦くらべ―マレーシアから帰って
21世紀コラム  2003年1月号

 新しいカレンダーの表紙をビリっと破った。常夏の国、マレーシアで十年余り暮らし、帰国後初めての正月を迎える私にとって、それは二重の「新しさ」を実感するものだった。再び日本のカレンダーで生活するということは、忘れかけていた日本人としての生のリズムを取り戻すことを意味する。南国で弛緩した心身がピリッと引き締まった。

 私が住んだマレーシアは総人口2327人、イスラームを国教とする多民族国家である。マレー系等が65%、中国系が26%、インド系が8%という構成である。それぞれに宗教が異なる。マレー系はイスラーム、中国系の大半は仏教・道教・儒教、そしてインド系の多くはヒンドゥ―教を精神的なバックボーンに生活している。言葉も、食べ物も、着る者も違う。

 しかし、私が一番驚いたのは生活のリズムを規定している「暦」が違う、ということだった。イスラームにはヒジュラ歴が、華人には中国農暦が、そしてヒンドゥー教にはヒンドゥ―暦がある。しかも、これらの暦は「太陽暦」とは異なる「太陰暦」または「太陰太陽暦で、一年の長さが違っていたり(約11日短い)、1年の月数が違っていたりするのである! 私にとっては、目から鱗が落ちるような「発見」だった。

 これらの多様な暦が、太陽暦の上に幾重にも重なって、マレーシアのカレンダーにはさまざまな民族や宗教の祭りが、祝日として赤く記される。

 イスラームの断食明けの大祭、巡礼祭、イスラーム正月、預言者ムハマド誕生日、華人の農暦新年、ヒンドゥー教のディーパバリ(灯明祭)、その他にウィサック・デー(仏誕節)やクリスマスも祝日である。これらの祝祭日はその日の主人公たちにとって、先人たちの足跡を振り返り、自らのアイデンティティーを再確認する精神的な節目なのである。

 暦も違えば、時計も違う。ムスリムの人たちを見ていて、そう思った。世界共通のグローバル・タイムとは別に、彼らはイスラームの時計を体内に宿している。1日5回の祈りの時間を刻むSubuh(夜明け)、Zuhur(昼過ぎ)、Asar(夕方仕事を終える時間)、Maghrib(日没)、そして一日最後のIsyak。それは日が昇り、日が沈む限り、永遠に止まることのない、もう一つの時計であった。

 夜明けのひんやりした空気を伝わって聞こえるSubuhの祈り、美しい南国の落日をバックにMaghribの祈りを呼びかけるアザーンの響き。イスラームは叙情詩なのだなと、思ったものである。

 この1日5回の祈りが「小拍」だとすると、毎週金曜日のモスクでの祈りが「中拍」、そして年1回の1か月にわたる断食が「大拍」。これが彼らの、生きる「リズム」なのである。

 他方、華人たちはムスリムほど顕著ではないけれど、「二十四節気」というリズムを持っている。常夏の国で、「立春」「春分」「清明」「中秋」などの言葉が生きているということは驚きであり、記憶の彼方にあった日本の「旧暦」が思い出され、ノスタルジアを誘った。働き者の華人は1年中ほとんど休みなく働き、年1回農歴新年にたっぷり休む。中国系の中小企業では1か月近く休むところもあると聞いた。

 華人たちは、農歴新年の他、清明節、端午節、中秋節,冬至などを祝う。

 インド系の暦については深く知る機会はなかったが、前述のでディーパバリの他、本国のインドでさえ禁止されている「タイプ―サム」という奇祭がますます盛んになっている。民族の強力なパワーを感じずにはいられない。

 こうしてアジアの伝統色の強い暦の中で暮らし、改めて日本の暦を眺めてみると、何か精気を失っているようで寂しい気がする。祝日の名称がファーストフードのように無味乾燥で、民族の歴史や伝統が感じられない。例えば、11月23日などは「勤労感謝の日」とせず、稲の収穫に感謝する「新嘗祭」として残すべきではなかったか。1月15日の「成人式」や10月10日の「体育の日」が便宜的に移動しているのも納得がいかない。

 民族の記憶を呼び戻し、日本人としての生のリズムを取り戻さなければ、日本民族はこのままでは凋落するのではないか。新しいカレンダーを眺めながら、そんな思いを打ち消すことができなかった。