イスラーム国で起きた日本脳炎と豚騒動
マレーシアで、豚を感染源とする日本脳炎がはやり、猛威をふるっている。当地では Japanese Encephalitis を略して「JE」と言っているが、最近新種のウィルスも原因であることが確認された。
連日JE騒ぎが続く中で、4月12日付のUtusan Malaysia紙の一面に載った、イスラーム国らしい記事が目にとまった。アブドラ・バダウィ副首相が、豚と関連させて同氏の家の名(バダウィは父親の名)を辱めたファジル・ノール氏の発言に対し、悲しみと遺憾の意を表したと言う。
ファジル氏は野党である汎マレーシア回教党の党首であるが、ある集会で「アラブ半島のバダウィ(Badwi族)は山羊や駱駝を飼う仕事に従事しているが、マレーシアのバダウィは豚の世話をしている」と発言したと言われ、物議を醸したのだ。
今年1月に就任したばかりのアブドラ副首相が「日本脳炎特別対策委員会」の委員長に任命され、豚の処置を含む日本脳炎対策に取り組んでいることを皮肉ったもので、アヌワル前副首相解任後、激化している与野党の政治論争の流れの中で捉えられるべき発言ではあるが、多民族国家のデリケートな感情を無視した軽率な(あるいは悪意に満ちた)発言だとの批判が与党や一般市民の中で起こっている。
この一件から、豚がいかにイスラーム教徒に忌み嫌われているか、改めて思い知らされた。イスラーム教徒の務めである五行のなかにこそ入っていないが、「豚は不浄なものであるから食べてはならない」と言うコーランの教えをマレーシアのムスレムたちは厳守している。
イスラームの教えに反し、一日五回のお祈りを時々さぼったり、「飲酒の禁」を破るマレー人にはたまに会うこともあるが、豚肉を食べるマレー人には、これまで一度たりとも出会ったことがない。
それ程までに「豚の禁」は重いようだ。 と言うよりも、豚は彼らにとって、理屈や信仰以前の、生理的に拒絶反応を起こすものなのではないだろうか。
豚肉を食べる家の料理は鍋や食器が汚れているから食べないとか、日本人からもらった「ぽんぽこ」と言う和菓子の形が豚に似ていたので、気持ちが悪くて捨ててしまったなどと言う、非イスラーム教徒が笑い話にしそうな話も実話としてあるくらいだ。
そんなイスラームの国で、豚を感染源とする日本脳炎災害が起こり、3月以降その被害が拡大し始めたのだ。被害を受けているのは中国系の養豚農家だが4月14日現在、死者95人、伝染防止のため屠殺された豚の数は85万匹に及ぶ。家の大黒柱を失ったもの、疎開を余儀なくされた者、失業した養豚関係業者が続出している。
しかし、この惨事は豚に近づかないマレー系住民には及んでない。誰も口にする者はいないが、多くのマレー人が、心の中で「やっぱり、アラーの神は正しい」と思っているとしても不思議ではない。
当初中国系コミュニティーの一部を襲っていた悲劇が、拡大するにつれ、国家的な緊急課題となった。 政府は3月25日に前述の「日本脳炎特別対策委員会」を発足させ、その責任者もそれまでのチュア保健相からアブドラ副首相に格上げして、本格的なJE撲滅運動に乗り出した。
民間でも、新聞社やマレーシア華人協会等が中心となって、各地で大々的な募金キャンペーンを繰り広げている。「救救猪農、快快行動!」(養豚農家を救おう、迅速な行動を!)と言う華字紙の呼びかけは読者に強く訴えるものがある。
そんな中で、目にとまったのが冒頭で触れた記事である。 実はその日、もう一つのエピソードが大きな写真とともに紹介された。軍によるセランゴール州の感染地区の豚屠殺作戦が完了したと言うニュースである。 500人余りの兵士たちは14日間で103軒の農家の102,693匹の豚を殺したと言う。
その任務を終えた打ち上げ式の写真は、マレーシア華人協会会長のリン運輸相とチュア保健相を囲んで、マレー系の軍人たちが、笑顔で、「やったあ!」と拳を上げて喜んでいる様子を写していた。
マレーシアの軍隊は大半がマレー系だと聞いた話を思い出し、「いくら国家の命とは言え、心の葛藤はなかったのだろうか」と胸がジーンと熱くなるものを感じた。
兵士たちの規律と献身ぶりを称えたリン大臣は心の中で「イスラーム教徒にもかかわらず、よくやってくれた」とつぶやいていたかもしれないと考えるのはうがち過ぎだろうか。
JE災害は政府が取った対策が功を奏して、4月中旬より下火になったが、まだ完全には終息していない。
「日本脳炎」という災害は豚が介在することによってマレーシアでは宗教上の、また人種間の試練ともなった。豚肉をこの上もなく好む中国系と嫌悪を抱くマレー系の民族共存は決して生やさしいものではない。しかしそんな厄介なことを一つひとつ試練として乗り越えているのがマレーシアという国である。