イスラームスケッチ(2) ― 民族それぞれの節目 ― ムスリム
今月はラマダーン、イスラームスケッチと題して、イスラームに関するコラムを再掲していきたい。
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再掲
民族それぞれの節目―ムスレム
昨年11月から今年2月にかけて、マレーシアではディーパバリー(ヒンズー教)、クリスマス、断食明けのハリラヤ・プアサ、新年、中国正月、と絶え間なく祭りや祝い事が続いている。それは、日本のように国民が一斉に「大晦日」で「けじめ」をつけ、国中が新たな気分で「新年」を迎えるのとはちょっと違っている。各民族がそれぞれに、より厳密に言えば各家庭や各個人がそれぞれに、歳月に自分なりの「節目」を設けて生きているという感じだ。個人主義、自由主義が花開いている多元社会だと思う。今日はラマダーン中の身辺の話をお届けしよう。
11月に入ると、ラマダーンを前にムスレムの人たちの顔が輝いてくる、と言えば少し大袈裟かもしれないが、マレー系を中心に何やら「期待感」が高まってくる。「時」が澄み、「精神」が引き締まって、心の秋、冬の到来である。
25日夜、月の観測結果を受け、サルタン会議の事務最高責任者が「ラマダーンは27日から」と宣言して、マレーシアのムスリムたちは一斉に1カ月の断食に入った。巷では「Selamat berpuasa!」(断食おめでとう、断食頑張ってね!)の言葉が飛び交う。
そんなある日の夕方、インド系の講師とすれ違った。「もう授業は終わったんですか」と尋ねると、「そうなの。ムスレムの子たち、可哀想じゃない。最初の数日はとても大変なのよ。Buka puasa(一日の断食終了)の準備が出来るように早く帰してやらないとね。毎年、私はそうしているのよ」
数日後、中国系ムスレムの学部長よりお達しのEメールが届いた。曰く「ラマダーンの間、5時から7時までの講義は6時半で終わるように」と。
11月初めに12月の日本語副専攻の論文中間発表会の計画をたてた。「長くなるから、途中でティー・ブレイクを入れようかと思うんですけど・・・」と同僚に相談を持ちかけると、「・・・でも、伴先生、そのころ私たちはプアサ(断食)ですよ! ムスレムじゃない人たちだけ飲んでもいいですけど・・・」と言われてしまった。私は「イケナイ・・・」と自分を叱った。断食にシンパシーを持っていると自負している私でも、うっかりしてしまうことがあるのだ。
私自身は今年、残念ながら断食が出来なかった。しかし、時々早起きすると、近くに新しくできたクアラルンプール・モスクからスピーカーを通して、アザーンが聞こえてきた。5時半頃、ひんやりした空気とともに忍び込んでくるその声は不思議な力を持っていた。声に惹かれて窓から顔を出すと、こんもりした森の向こうに、未知の国のお城のようなモスクがライトアップされ、暗闇の中にぽっかり浮かび上がっている。何だかその方向に心が吸い込まれていくようだ。「声」と「建造物」の魅力が持つ求心力・・・。イスラームの秘密はこんなところにもあるのかもしれない。
ラマダーンが始まって間もなく、新婚で妊娠中の同僚、ロスワティさんが2週間の休みを取って、メッカへ小巡礼(ウムラ)に出かけて行った。 なぜ「いま」なのかを聞くと、「私は8人兄弟だけれど、私だけがまだメッカへ行っていないの。もう何年も行きたいと思っていたのだけれど、前の職場(マレーシア工科大学日本留学予備教育センター)では忙しくて休みが取れなかった・・・。だから、今年はどうしても、行きたいと思ったの。ラマダーンの時期に行く人、多いんですよ。主人は忙しいので(日系企業勤務)、両親と行くのよ。費用は一人4千リンギットぐらい(10万円強)かな」との答え。
2週間後に戻ってきた彼女から、思いがけずお土産をもらった。無造作な封筒の包みと剥き出しの小さなタッパー・ウエアだった。開けてみると、一方にポケットに入る小さな時計、もう一方に聖地のドライ・フルーツが入っていた。 時計の表と裏にはメッカとメジナの絵柄がついていた。「・・・これ、サウジアラビアのじゃなくて、中国製ですけどね・・・」と彼女は悪戯っぽく笑う。
「こちらはムハンマドさん(預言者マホメット)が植えたクルマ(ナツメヤシ)!」 その他、無花果、杏子、干し葡萄、ピスタチオ、アーモンドなどが数粒ずつ入っていた。さりげなくて、いかにもムスレムらしいお土産にほろりとした。
イスラーム暦は太陰暦なので、2000年はハリラヤ・プアサ(断食明け)が2回あった。1月8日と12月27日である。2回目のハリラヤ・プアサも休日とするべきかどうか、一悶着あった会社もあったようだ。
12月の南国の夜は、ハリラヤのクトゥパッ(椰子の若葉で編んだ包みにもち米を入れて炊いた粽の一種で、お正月のお餅にあたるもの)を象ったイルミネーションとクリスマス・ライトが入り乱れて美しかった。それは夜が無言で、私たちに「宗教的平和共存」の尊さを教えてくれているかのようだった。