大暑


❤大伯母に抱かれる正護ちゃん。帽子は新疆ウイグル自治区で求めたもの。


 セミの声を聞いていると、幼い頃の夏休みの記憶が蘇ってくる。

 小学校の頃、私たち姉弟は夏休みを高知で過ごした。約一ヶ月、父方の実家西町と母方の実家城山を数日毎に行き来しながら(徒歩で30分位の距離)、日中はよく桂浜や種崎で海水浴を楽しんだ。

 城山の片岡のおばあちゃんは寝具を大切にする人で、私たちが帰る前には布団を新調したり、古い布団の綿の打ち直しをしたりして、孫の帰りを待ってくれていた。そして私たちが泊まりに行く日が決まると、布団を真夏の太陽に干し、バリバリに糊を立てたシーツを準備してくれていた。

 夜、お座敷に布団が敷かれると部屋中が太陽の匂いで一杯になった。皆で蚊帳を吊り、遊び疲れた私たちは布団に雪崩れ込む。

 でも、「おばあちゃん、痛いよ~。僕たち日焼けしていて、背中がヒリヒリしているんだよ。こんなバリバリのシーツ、熱いふかふかの布団は困るよ! 冷たくて薄っペたい布団でいいのに」と私たち。

 「そうかね、そうかね」とおばあちゃんは聞き流し、団扇を持って蚊帳の中に入って来る。そして、私たちの添い寝をしてくれ、右、左と代わる代わるに優しい風を送ってくれた。母が言った。「おばあちゃんはね、マミーが小さい頃もこうして寝かしつけてくれていたのよ。」

 海で燃焼し切った夏の一日を私たちは幸せなまどろみの中でいつしか眠入っていた。愛に包まれた幼い頃の思い出は今でも体が覚えている。

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ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ 
ねんねしな

ねんねのお守りは どこへ行った
あの山こえて 里へ行った

里のみやげに なにもろた
でんでん太鼓に 笙(しょう)の笛

起きゃがり小法師(こぼし)に 振り鼓
起きゃがり小法師に 振り鼓

【母のチカラ、歌のチカラ、未来のチカラ】

 7月17日、18日と2日続けて「こうち赤い鳥の会」が主催した、西舘好子さんの講演を聞いた。日本子守唄協会理事長の西舘さんは、故井上ひさし氏の先妻で、長く演劇活動に携わってきたが、その後のDV、子供の虐待などの社会問題、女性問題への活動を経て、現在は女性史の一つとも言える子守唄の研究、継承活動に取り組んでいる。
 
 83歳の西舘さんはエネルギッシュで、チャーミング、子守唄のお話は教育や政治にも及び、力強く、学ぶことが多かった。

 子守唄は無意識に「安心」「信頼」を伝えるもので、その原型とも言える「ねんねんころりよ、おころりよ」は聖徳太子の時代に日本に仏教と共に伝わったサンスクリット語である。意味は「安らかにお休みなさい」というもので、日々の眠りだけでなく、人の一生、 生と死を教えるものである。

 「三つ子の魂百歳まで」と言われるが、子守唄は幼い子供に心、心根、生活を教える「命の祈り」とも言えるものである。

 女性は命を産み、育て、社会へ旅立たせるという大事業を負っている。せめて3歳までは育児に専念し、日常生活を大切にしてほしい。社会に出るのはその後でよい。育児は「人を創る」という尊い仕事であることを再認識してほしい。

 講演を聞きながら私は、幼い頃父が母に向かってつぶやいた言葉を思い出していた。
「子育ては芸術だね。男はとても敵わないよ」―それは女性への最高の賛辞であったと思う。