「書」という空間芸術を遺産に持つ民族
# そのとき どう動く (太筆で書かれた力強い字)
# 名もない草も実をつける いのちいっぱいに花を咲かせて (やさしい字)
# つまづいたっていいじゃない 人間だもの (のがおどけたユーモアある字)
# かねが人生のすべてではないが あれば便利、無いと不便、
便利な方がいいなあ (スペースをいっぱいに使ったバランスのある字)
私は文字というものが、こんなに豊かな表情を持つものかと、毛筆で書かれた「相田みつを語録」の虜になってしまった。
クアラルンプールのツイン・タワー・ビルのイセタン・ギャラリーで開催された元日本留学生による「八顔」展でのことだ。
”The Japan Festival in Malaysia”のチラシには初日は10時からとあるので朝早く出かけたが、行ってみるとオープニングは3時からとのこと。マレーシアではよくある話だ。直前に確認しなかった私が悪い。
会場はガランとしていた。幸い旧知の葉逢儀さんが滑り込みで間に合った友人の作品を届けるために早く来ておられた。50代半ばの葉さんは、まだ”ルック・イースト・ポリシー”などがなかった頃、私費で東京芸術大学に留学していた。当時、高校生だった私は、お姉さんの葉逢梅さんと武蔵野市の同じ寮に下宿していて、そこで何度か逢儀さんとお会いしている。30年も前のご縁である。
今回の展覧会ではお嬢さんで、やはり日本留学の経験がある健一さんと親子で出品されている。
出展した8人のうちで最年長のお父さんは、トレード・マークである「すずめ」の彩墨画を、お嬢さんは障子のように区切られた屏風の片側に毛筆で「相田みつを語録」を、片側に日本の茶碗や小間絵をモチーフにした親しみやすい絵を、かるたを並べたように描いていた。
こじんまりとした会場にはその他、中国系の元日本留学生による絵画、書、写真などの作品が合せて40点あまり飾られていた。 語らいの時間はたっぷりあった。
会場を見渡して、改めて「書」が美術であることに感を深くした私は、まずそのことを話題にした。
「筆で書く文字は実に表情が豊かですね。先日、私は声を媒体とした言葉の深さ、豊さについて書いたばかりなのですが、筆によって表現された言葉はそれに勝るとも劣りませんね。素晴らしい文化ですね」
「文字は人といいますが、書は人のこころ、情感を伝えるものです。また、毛筆で書かれた文字はひとつとして同じ物がない。その一瞬の人間のすべてが表われると同時に、偶然がもたらす芸術でもあるのです。修正が利く西洋の絵画とは違いますね」
「書は全身運動でもあるんですよ。太極拳に通じるものがあり、神経を統一するという意味において、全身を使うんです。だから、健康にもよい。特に年をとってから」
話は「漢字」へと移った。
「マレーシアで日本語を教えていて思うのですが、漢字圏と非漢字圏の間には大きな河が横たわっているような気がするんです。非漢字圏の人には、この河を越えて、日本語の世界に入るのはとても大変のようです」
「記号としての文字と象形文字の違いですね」
「非漢字圏の人にとっては、ひらがなですら異質なものに写る、と聞かされびっくりしたことがあります」
「中国人や日本人は文字から意味を読み取るばかりでなく、その形からより深いもの、情感を感じ取ることが出来る」
「お元気ですか、という言葉について考えたことがありますか。これは、単に身体が健康かどうかという意味じゃない。元気というのは、儒教の世界観で、万物を形成する気の運動が開始する元となる凝縮したエネルギーを意味するんです」
「気はもともとは氣だった。そうです。米ですよ。東洋の人々の元気のもとは米。朝は味噌汁とご飯。お粥。マレーシア人のナシ・レマ!」
ナシ・レマはココナッツ・ミルクで炊いたご飯のこと。チリ味のじゃこ、ピーナッツ、ゆで卵、きゅうりの輪切りなどをそえて食べる。
「漢字は叡智の結晶みたいなものですね。戦後、日本語のローマ字化なんて言う話がありましたが、よくぞ、それに乗らなかった。今考えると、ぞっとします」
「いや、中国だって、その危惧はあったんですよ」
「ところで、韓国・朝鮮はハングルになってしまいましたね」
「いや、最近は漢字が復活し始めているそうですよ・・・」
「ほんとですか。ところで、葉さんはどうして、すずめを描かれるのですか」
「すずめはどこにでもいる庶民的な愛すべき動物、生命力があるし、人間みたいでしょう。今日の作 品も、あれが「同窓会」、これが「話す人、聞く人」、この絵はひとりの指導者が群集に向かって話し ているようで、指導者批判になるから、中国へは持っていけなかったんですよ。ハッハハ」
私たちの話は、「掛け軸」や「玄関」の文化などへと続き、話しは尽きなかった。
やがて、お嬢さんの健一さんが来られた。聡明そうな美しい現代女性だった。
紹介されて、私は「お嬢さんがお父様と同じ道を進まれたこと、何ものにも代え難い幸せですね」というと、逢儀さんは嬉しそうにうなずいた。
気がつくと、まわりががやがやとしてきた。
小さな災いが転じて福となり、今日は思いがけず、二代にわたり日本を愛してくれた葉さん父娘とゆっくり語り合うことが出来、ほんとうにいい日だった。