クアラルンプール。「泥んこの三角洲」という意味のこの町を土地っ子たちはKLと呼ぶ。このKLほど短い間に急成長を遂げた都市も少ないのではないだろうか。連邦直轄区記念日の今日(2月1日)、KLの生い立ちと発展について振り返ってみたい。
 KLの中心部、この町で一番古いマスジット・ジャメというモスクと観光客が集まるセントラル・マーケットのすぐ近くに「Yap Ah Loy」という名の通りがある。僅か100メートルの短い通りだが、この名には長いストーリーがある。

 ヤップ・アー・ロイこそは、このクアラルンプールをニッパ椰子の小屋が集まる小村から立派な町へと発展させた、KL育ての親の一人なのである。1834年広東省生まれの客家人。マラッカからマラヤに上陸し、錫鉱山の採掘工夫など下積みの生活を経て、商売で財を成し、1868年にKLの第3代キャプテンとなる。当時錫の町として発展しつつあったKLの中国人社会の纏め役となり(秘密結社のリーダーでもあった)、スルタン家や植民地支配を始めたばかりの英国人行政官からも頼りにされた。

 1880年KLはスランゴールの州都となる。17年にわたりキャプテンを務めたヤップは48歳で亡くなるまで、商売の傍ら、インフラの整備、監獄(!)や学校の建設、慈善事業など町の発展とコミュニティー作りに貢献した。

 KL発祥の地、ゴンバ川とクラン川が交わる三角洲に佇むマスジット・ジャメの木陰や周辺の崩れそうなショップ・ロットの古い街並みに身を置くと、百数十年前のヤップ親分の笑いと涙の冒険物語が彷彿としてくるようだ。

 英国植民地時代、KLはイスラームとイギリス文化が融和した美しい町だったに違いない。その面影を残す建築物として、独立広場に面したスルタン・アブドゥラ・サマド・ビル(最高裁判所ビル、旧英国植民地政府の事務所ビル)、その対面にあるスランゴール・クラブ(かつての社交の場)、昨年閉じた旧KL中央駅、点在する教会や英国風の邸宅などがある。緑の多いレイク・ガーデンにあるカルコーザ・スリ・ネガラは英国人高官の邸宅をコロニアル・ホテルに改造したものだが、宿泊しなくとも、午後のひととき、英国式の優雅なハイ・ティーを楽しむことができる。

 1957年の独立式典の舞台となったKLは、その後1974年にスランゴール州から分離し、連邦直轄の特別区となった。

 私が初めてマレーシアに来た頃はこんな説明を聞きながら市内見学をしたものだった。ところがどうだろう。この5、6年でKL案内の内容はガラリと変わってしまった。

 今では、KLの象徴はKLIA(クアラルンプール新国際空港、1998年)、KLタワー(421m、1996年)そしてペトロナス・ツインタワー(452m、1997年)である。特に世界一を誇るツインタワーの麓にできたスリアKLCC(KLシティー・センター)と呼ばれるKL随一のショッピング・センターは、屋外に公園や噴水、モスクを、屋内にペトロナス・フィルハ-モニック・コンサート・ホールやペトロナス・アート・ギャラリー、映画村などを有し、お上りさんや若者が多く集まるKLで最も吸引力のある場所となった。

 ホテルやオフィスも建設ラッシュで、特に経済危機の折には「バブル崩壊」が怖かったが、今も「建設」は続行されている。セントラル新中央駅、LRT(軽量車両電車)やコミューター(近郊用電車)など、KL内や近郊を結ぶ公共交通機関の発展も目覚しいものがある。KL中心部ののセントラル駅とKLIA(クアラルンプール国際空港)間の57キロを28分で結ぶERA(空港高速鉄道)の開通も間近い。

 文化施設も増えた。国立図書館の隣に、国立美術館が移転(1998年)、その又隣に国立文化宮殿がオープンした(1999年)。何れもブルーを基調とした伝統的なデザインの建物である。

 イスラーム関係の施設も忘れてはならない。1999年にはKLモスクが完成し、独立広場近くの国立モスクとその美しさを競うようになった。国際イスラーム大学の新キャンパスの建設、イスラミック・アート・ミュージアム開設など、枚挙にいとまがない。

 こうして書いているだけでも、息切れがしそうなほどの量とスピードである。

 だが、もっともっと驚くことがある。両眼「2.0」(2020)の視力で未来を見つめたマハティール首相は、世紀の実験を考えたのである。MSC(Multimedia Super Corridor)計画である。KLCC(KLシティー・センター)とKLIA(KL国際空港)の間の縦50数キロ、幅15キロの丘陵地帯に先端テクノロジーを結集し、インテリジェント・シティを建設するというものだ。

 この地域には中核都市サイバ・ジャヤ、新行政都市プトラジャヤ、映画村・Eビレッジ、マルチメディア大学などが含まれるが、ゴムの木やオイル・パームの樹林を切り開いて、ゼロから新しくできたプトラジャヤは順調な成長を遂げ、現在人口2万、今年連邦直轄地制定1周年を華々しく祝った。KLは「大変身」どころか「脱皮」までしてしまったのである。

 この目覚しい発展を「マレーシア・ボレ!」(Malaysia can!)と手放しで喜ぶ人もいるし、急速な変化についていけない人たちもいる。また、「発展」の陰の「歪み」を強調する人もいる。

 確かに素人目にも洪水対策、ゴミ処理、水の問題など、大切な問題のいくつかが後回しになっているとの印象も否めない。

 しかし、国や都市も、人間と同じようにエネルギーが溢れ、急速に成長する時期というものがあるのではないだろうか。

 2020年、クアラルンプールはどんな都市になっているだろう。(2002年2月1日、記)