2002年中国正月の初日、久しぶりに友人のエドワードさんに会った。夜8時過ぎ、家族との行事を済ませた彼は、いつもの真っ赤なサトリア(戦士という名の国産プロトン車)に乗って私を迎えに来てくれた。挨拶はそこそこに助手席に乗り込むと、いきなり膝の上にピンクのビニール袋に入った正月みかんがドンと載っかった。私は改めて「Gong Xi Fa Cai(恭喜発財)!」と元気に新年の挨拶をした。

 車はもう町に向けてハイウェーを走っていた。「どこへ行こうか」と二人で迷ったが、私はやはり昔一緒に仕事をしたオフィスの近くへ行きたいと思った。私たちが落ち着いたのはエクアトリア・ホテルの「勘八」だった。以前日本文化センターがKLタワーの麓のヌサンタラ・ビルにあった頃、よく行ったところである。

 中国正月で休みの店も多いというのに、ここは日本人、中国系、マレー系のアベックや家族連れで大賑わい。暫く待たないと席がなかった。エドワードさんは「鍋が食べたい!」と言った。このところ「すし金」とか「元気すし」とか、卒業生に誘われてマレーシア風回転寿司ばかり食べている私は「日本」の寿司が食べたいと思った。中国正月だから豪勢に寿司をつまんでから、鍋をつつこう、ということになった。飲み物は「Ocha」だった。

 私たちは話すことがたくさんあった。私はまず本の出版が決まったこと、そして私にもいよいよマレーシアを去る日がやってきたことを告げた。

「…僕より先に夢が実現したね。で、本のタイトルは?」
エドワードさんが聞いた。

「そうね…、まだ決まっていないけれど、私が描きたかったのは『Sejahtera Malaysia』ということかしら。プロローグも『Sejahtera Malaysia』の歌の話で始まるのよ。でも『Sejahtera』を『平和』と訳したのでは不十分よね。・・・」

私は改めてエドワードさんに聞いてみた。
「Sejahtera って?」

「それはね、Sacrifice だよ」
簡潔だが、重みのある言葉が返ってきた。

「中国系はクォーター制(ブミプトラ政策)を受け入れ、マレー系は移民たちに市民権を与えた・・・。それぞれの sacrifice じゃない? ご飯一杯とご飯一杯の平等もあるけれど、ご飯一杯とミー(そば)一皿の平等もあるよね」

エドワードさんは早口で話を転がした。私も明るく続けた。

「エピローグはね、『Sejahtera Malaysia』の日本語バージョン『さようならマレーシア』の紹介って決めているの。星亨先生作詞の『さようならマレーシア』はオリジナルの強烈な愛国歌とは内容が全然違うけれど、曲のイメージにぴったりだし、何よりもマレーシアでお世話になった日本人の気持ちをよく表わしているわ」

 帰り道、車の中から「Selamat Tahun Baru Cina」(中国正月おめでとう)の美しい電光板を眺めながら、私は少し早いけれど、心の中で『さようならマレーシア』を口ずさんでいた。

   常夏の町に立つ 椰子の葉にそよぐ風

    優しい人たち マレーシアの思い出

   雨の木の葉が目覚め 町角に影落とす

   太陽の子供たち 光と戯れ

   今も私の心にはあなたたちがいる

   さよなら さよなら 夢を忘れずに

   光る川光る海 ゴムの木の続く道

   青空にかかる虹 私のマレーシア

2002年2月12日 記