一寸用事があって、友人の車で歴史の町マラッカへ行ってきた。新聞でマラッカの中国正月の提灯祭り、ポルトガル村の「イントゥルドゥ」という水かけ祭りのことを読んだので、出来ればその様子も覗いてみたいと思いつつ出かけた。
 マラッカはマレーシアの歴史発祥の地。1400年頃マラッカ王国が誕生して以来、アラビアやインドの商人とともに、明、ポルトガル、オランダ、英国、そして日本が足跡を残した地である。特に明時代には多くの中国人がやってきたが、彼らは Baba (男性)と呼ばれ、19世紀末以降にやって来た華僑(彼らは Baba に対し Totok と呼ばれる)と区別されている。また、Baba と結婚したマレー人女性は Nyonya、その子孫(混血児)は Peranakan と呼ばれ、独自の文化(例えば服装、ニョニャ料理など)を形成している。

 さて、マラッカの旧正月(中国正月)は期待以上のものだった。Bunga Raya Road や Kee Ann Road をはじめ、細い路地には手毬のような愛らしい赤い提灯が数珠つなぎに飾られ、夜になると灯りがともって、幻想的な美しさを醸し出していた。町並みが古ければ古いほど、また辺りが暗ければ暗いほど、その佇まいは魅惑的で、あたかも深々と眠っていた歴史の精が呼び起こされて宿っているかのようだった。私たちは溜め息をつきながら、何度も何度もその界隈を車で回って、その美しい光景を目に収めた。

 夕食は夜も更けてからポルトガル村の水上レストランでとった。マラッカ海峡の静かな波の音と対岸のインドネシアからの風を感じながら…。運ばれてきた料理は香料がよく効き、どれもこってりしていて、ポルトガル料理と言ってもマレー料理やインド料理と大差ないように思われた。

 それよりも、そこで働いている人たちの顔つきが興味をそそった。私は典型的なポルトガル人のイメージがわかないのだが、西洋人よりむしろアメリカ大陸のインディアンやポリネシアの人々に似ているように思えた。とにかくどこかマレー人とは違っていることだけは確かだった。

 翌朝またその同じ場所へ水かけ祭りを見に行ったのだが、町内の人々が普段着で道路に出て来てバケツで水をかけあうだけで、どうということはなかった。ポルトガル村はあまり裕福なコミュニティーとは思えず、五百年前の栄光は何処にと、歴史の悲哀を感じずにはいられなかった。

 その夜は、Tun Tan Cheng Lock 通り(初代蔵相の名)にある The Baba House に泊まった。一泊55リンギット(約1500円)という安さだったが、古い Baba の住まいの面影を残したその宿はこざっぱりとしていて感じがよかった。

 KL在住の皆さん、今からでも遅くありません。是非マラッカの Chinese New Year Lighting Decoration Festival(2月1日から3月1日まで)を訪ねて、華人世界のノスタルジアに浸ってみてください。大都市KLとは違った、落ち着いた風情がありますよ。今日は文化芸術観光省支部?からのお知らせでした!

 明日は中国正月。恭喜発財、万事如意! 午年が幸運を運んでくれますよう。