今日はまず、『コーラン』の中の断食にふれた部分をご紹介しよう。

第2章 牝牛
179節 これ信者の者よ、断食も汝らの守らなければならぬ規律であるぞ、汝らより前の時代の人々の場合と同じように。(この規律をよく守れば)きっとお前たちも本当に神を畏れかしこむ気持ちが出来てこよう。

180節 (この断食のつとめは)限られた日数の間守らなければならぬ。 但し汝らのうち病気の者、また旅行中の者は、いつか他の時に(病気が直ってから、或いは旅行から帰った後で)同じ数だけの日(断食すればよい)。また断食をすることが出来るのに(しなかった)場合は、貧者に食べ物を施すことで償いをすること。しかし(何事によらず)自分から進んで善事をなす者はよい報いを受けるもの。この場合でも(出来れば規律通りに)断食する方が、汝らのためになる。もし(ものごとの道理が)汝らにはっきり分かっているならば。

181節 コーランが、人々のための(神からの)御導きとして、また御導きの明らかな徴として、また救済として啓示された(神聖な)ラマザン月(こそ断食の月)。されば汝ら、誰でもラマザン月に家におる者は断食せよ。但し丁度そのとき病気か旅行中ならば、いつか別の時にそれだけの日数(断食すればよい)。アッラーは汝らになるたけ楽なことを要求なさる、無理を求めはなさらない。ただ汝らが所定の日数だけ断食のつとめを守り、そして汝らを導いて下さったアッラーに讃美の声を捧げさえすればそれでよい。そのうちに汝らにも本当に有り難いと思う心が起きて来るであろうぞ。

 さて、イスラームスケッチ第6話はハリラヤ・コルバン(犠牲祭)を再掲する。
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再掲

牛を生贄にする犠牲祭「ハリラヤ・コルバン」

2001年3月9日

 ハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)が近づいたある日、知人が「今年は家内が『犠牲』をするんだよ(buat korban)」と言った。一瞬「?」と思ったが、次の説明で意味が呑み込めた。「僕らは金持ちじゃないから、7人で一頭の牛を買うんだ。一人の持ち分は280リンギ(約8千円)なんだよ」

 ハリラヤ・ハジは聖地メッカを巡礼している人々を祝福する日である。毎年メッカには世界中から約200万人のイスラーム教徒が集まる。この時期になると異教徒立ち入り禁止のメッカから映像が届くので、その様子が見られるが、この世のものとも思えぬ不思議な雰囲気が漂っている。

 縫い目一つない一枚の白い布、シンプルさの極限に身を包んだ何万、何十万のムスリムたちは、肌の色、国籍、社会的地位、貧富、賢愚など、すべての「差異」や「装飾」から解き放たれ、ただ一人の裸の「人間」として「神」と対峙する。この経験を通じ、「すべての人間は神の前では平等である」というイスラームの根本思想が体得されるであろうことは、映像を見ている者にも伝わってくる。それは、同時に、どんな人間にも必ずやってくる「死」というものへの準備、予行演習のようにも思える。

 さて、ハリラヤ・ハジ(巡礼大祭)には別名がある。ハリラヤ・コルバン(犠牲祭)である。この日はメッカのシンボル、カアバ聖殿を建てたとされる預言者イブラヒムとイスマイル親子の故事に因んで、牛や羊、駱駝などが生け贄にされるのだ。

 その昔、神がイブラヒムに最愛の息子イスマイルを生け贄にするよう命じた。苦悩の末、イブラヒムは神のお告げに従う決心をし、イスマイルもまた身を神に捧げることに同意した。イブラヒムが今しも息子を殺そうとした時、この親子のゆるぎない信仰心を確認したアッラーが、救いの手をさしのべた。イスマイルは助かり、代わりに子羊が生け贄にされたという。ハリラヤ・コルバンは神への忠誠と犠牲の尊さを心に刻む日である。

 私はもう何年もマレーシアに住んでいながら、このコルバン(犠牲)を一度も実際に見たことがなかった。今年は是非見なければならないと思い、友人に「どこで見られるかしら」と尋ねた。「あら、どこのモスクでも、スラウ(礼拝所)でも見られるわ。お宅からだったら、バングサ・モスクがいいかもしれないわね」。ムスリムである彼女は「そんなことも知らないの?」というような表情をして答えた。

 3月6日、ハリラヤ・ハジの朝、私はテレビの中継で祈りの大合唱を聞いた後、バングサ・モスクへと出かけて行った。都会のど真ん中のモスクで牛が「犠牲」にされるなんて、ちょっと考えられず、行ってみるまでは半信半疑だった。

 モスクには既に十数頭の牛がトラックで運ばれていた。モスクの敷地内に入ると、牛の匂いがプーンとしてきた。懐かしい匂いだ。学生時代に北海道の牧場で一ヵ月働いた経験が甦ってきた。早朝の牛舎の掃除、糞の始末、機械と手による乳絞り、搾りたての湯気のでる牛乳の攪拌作業・・・、真夜中の子牛の出産に立ち会ったこともあったっけ・・・。しかし、牛の屠殺現場を見るのは初めてだ。怖くて、胸がドキドキした。

 生け贄は既に始まっていた。まず、牛をトラックから引きずり降ろし、屠殺される場所へ連れて行く。数人の男性がロープを引っ張って、暴れる牛を押さえつける。横に倒された牛の頭をしっかりと押さえた男がナイフを振り上げると、「ビスミラー・ヒラフマン・ニルラヒム(慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において)・・・」という祈りの合唱が始まる。男は独り言のように祈りをつぶやいて、牛の頚動脈にナイフを入れる。真っ赤な血がどっと流れ出る。私は一瞬、眩暈を感じた。気がつくと、牛の頭と体が切り離されていた。

 ムスリムは豚肉を不浄なものとして一切食べないが、鶏肉や牛肉なども「ハラール」でなければならない。ハラールとはイスラームの教義にかなった食べ物という意味で、肉の場合は上記のような方法で屠殺されたものを言う。

 モスクには何十人もの人が集まって、流れ作業で殺された牛を処理している。皮を剥ぎ取る者、骨と肉を切り離す者、肉を小さく切り落とす者、そして最後は女性たちがしゃがみ込んで山積みにされた肉の塊を秤にかけ、1キロずつ分けてビニール袋に入れている。

 男も女もみな手は血まみれで、服にも血痕が飛び散っている。スーパーにきれいに並んだパック入りの肉しか知らない者には、この一連の光景はかなりショッキングだが、ムスレムの人たちは小さい子供を連れて見に来ている。これも「教育」の一環なのだろう。そう言えば、ムスレムの子供たちは12歳ぐらいになると、遺体の処理を含め、「死」について学ぶのだそうだ。

 ビニールに入った肉はクーポンと引き換えに、集まってくる人々に配られる。貧しい人々と貴重な食べ物を分かちあう、というのがそもそもの趣旨である。モスクの裏の台所では巨大な鍋で煮炊きが始まっている。バーベキューのおいしそうな匂いもしてくる。大作業の後には「共食」が待っているのだろう。こうして、「コルバン」はいわゆる「ゴトン・ロヨン」(共同体の「相互扶助」)方式で行われるのである。

 クアラルンプールではハリラヤ・コルバンは一日だけの祝日だが、クランタンなどイスラーム色の強い北部4州では2日間の祝日となっており、より盛大に祝うそうである。「コルバン」も、モスクやスラウのみならず、個人の家で行なう場合もあり、共同体としての一体感がより強く感じられて楽しいと言う。

 コルバン ― 犠牲。日本では「犠牲者」(被害者)という使い方以外にあまり聞かなくなった言葉だが、マレーシアでは崇高な価値として今も大切にされている言葉だ。

 大辞林を引くと「犠牲 ①目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの。(以下省略)」とある。

 紀元前の故事に因んだ生け贄の祭りを、21世紀に入ってもなお、その原形で堅持している人々の姿に触れ、イスラーム圏の人間の底力のようなものに打ちのめされた一日だった。